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JICA=日系社会ボランティア30周年=リレーエッセイでたどる絆=第5回=母娘のブラジルとの深い絆

母・貞子さんと娘・裕美子さん

母・貞子さんと娘・裕美子さん

 ほんの10年前まで、私たち母娘はブラジルとこんなに深い絆ができるとは考えもつかなかった。日本人の誰もが思い描く、コーヒー豆とサッカーとサンバと広い大地。それが母娘のブラジルの知識だった。
 まず、娘・裕美子が初めてブラジルに足を踏み入れたのは、大学の卒業旅行で南米を旅した時であった。卒業式前日に真っ黒に日焼けした顔で帰国した娘は、南米パワーにいかに魅了されたか興奮し語ってくれた。
 就職した娘は、如何にして南米に再上陸するかあれこれ思案していた。運よく研修生として1年間、国際交流基金サンパウロ文化センターにお世話になった。この時、私も家族一緒に初めてブラジルの娘を訪ね、サンパウロ、パンタナール、そしてリオの新年を経験した。
 次に、ブラジル日本移民百周年の記念すべき時に、娘は日系社会青年ボランティア22回生(文化人類学・社会学)として、サンパウロのブラジル日本移民史料館で活動し、『目でみるブラジル日本移民の百年(ブラジル日本移民百年史別巻)』編纂に携わることが出来た。
 100年の歴史、移民の生活の様子がより伝わる様、多くの写真を使用し日葡併記の解説付きとなっている。この写真集は今でもAmazon等で販売されており、大変うれしくまた携われたことに誇りを感じている。
 帰国後は、この経験を活かしJICA横浜内にある海外移住資料館で各国の日系社会の歴史に携わる業務に従事し、その後JICAブラジル事務所で企画調査員としてボランティア事業支援を行いブラジル日系社会とご縁が続いた。
 私も娘のブラジル進出に伴い、休暇を利用して毎年ブラジルを訪れていたが、同様にブラジルに魅了され、ついには中国の大学からJICAシニアボランティアの道に進んだ。
 偶然にも、母娘で日系社会ボランティアとなり派遣国も同じブラジルとなった。配属先のリオ日本語モデル校を中心に、リオ州、ミナス州、エスピリットサント州の日本語学校に巡回指導を行いながら、多くの日系の方々と触れ合い、日本語教育に限らず多くのことを学ばせていただいた。
 学校訪問の移動過程が旅のようで、初めて見る広大な大地や日系の方のトラックの走るバナナ畑や半径500メートルの人参畑の散水機など驚くことばかりだった。
 現在、娘は、JICAパラグアイ事務所で、ブラジル時代に培った経験を元に同僚と一緒に80名のボランティア活動の後方支援を行っている。私も毎日活発な孫と一緒にパラグアイで過ごしている。先日のパラグアイ移住80周年記念式典において、娘はお世話になったブラジル在住の日系の方々にお目にかかり、数年ぶりの再会を喜んでいた。
 ブラジルを離れてもなお、ブラジルの2年間は鮮やかに濃く記憶に残っており、また母娘でボランティア経験を共有することができる環境に感謝している。今後も日系社会とJICAボランティアの繋がりは益々広がっていくことを願うと同時に、我々母娘のブラジルとの絆も太く深く続くことを願っている。

山本貞子(やまもと・さだこ)

【略歴】岡山県出身。65歳。日系社会シニアボランティアとして2010年から12年までリオ州のリオ市日本語モデル校に赴任した。娘の山本裕美子は2006年から08年まで青年ボランティアとしてサンパウロ市の日本移民史料館の活動を行い、現在はJICAパラグアイ事務所で企画調査員をしている。母娘で日系社会ボランティアを経験。