当時は、日本食堂など、この町には一軒もなかった。前の大通りの一番下あたりに、大きなレストランはあった。日系人が経営している。そこを、日本人たちは、利用していたらしい。こちらは名ばかりの食堂である。
客が入り始めた。ある農家らしい男の客が、
「ここはねえ、ほっ! と一服できる雰囲気だよ……」
と言ってくれた。宣伝もしていないのに、クチコミで客は増えてきた。生活も、ほんの少しゆとりが出来てきた。一郎は、家主へ例の件で話に出かけた。家主は見にやってきて、室の天井を調べた。日系人である。
「店、うまく行くといいね。がんばりなさい」
「天井の件は、いくら払ったらいいでしょうか」と、一郎。
「いいですよ」
にこにこして帰って行った。私たちが、遅ればせながら、心からお詫びに行ったことを、気に入ってくれたのかも知れない…… 家主は何軒も人に貸していて、小さな冴えない商売もしている。が、いくら豊かでも、そんなことは誰でもは出来ない。手を合わせる思いだ。
一郎が注文していたらしく、冷蔵庫が届いた。かなり古い大きなもので、この炊事場には浮き上がって見えた。
古いだけに却って、前からあったわけではなく、他所からやってきたという、違和感が漂う。丁度、私たちのようである。お陰で刺身も出せるし、なにより食品の保存ができる。こうして店も段々備わってきた。
仕事が前進して、心持ホッとした頃、又友子が我がままをし始めた。この子を叱る時は一郎の手前、必ずひろ子と友子を一緒に叱った。そのうち、毎日のように叱らねばならなくなり、その度にひろ子を一緒にして叱りつけた。その度にひろ子は、悲しげにうつむいて室の中へ消えた。
気の休まる間もないこの食堂の中で、今度は一郎がおかしくなってきた。一日中酔っ払うようになって、仕事の邪魔を始めた。例えば、大広間で宴会の予約が入った。この日は八名で、一郎の知り合いたちである。皆、バタタで大儲けした連中で、自信に溢れ、重みさえ感じさせる。私は大皿三枚に刺身を切って盛り付けた。
その時、一郎が手を出し、「ほいっ! ほいっ!」と、三皿を重ねて、客間に運んでしまった。
刺身は、皿を重ねた時点で、その切り身はべたべたに皿に張り付いてしまったのが想像される。賑わっていた客たちは、一時しんとした。この頃から、一郎の邪魔はひどくなる一方であった。けれども商売の方は、一日の客の入りが平均五十名となった。普通、レストランの場合、三回転すれば成功といわれているそうだ。
私たちの食堂は、十六席である。つまり三回転以上になった(席の数の三倍が三回転)。
ある日、一郎が、
「財布はおまんが持てや」
と言って、くたびれた薄汚い財布を渡した。嬉しくない。下の方にあるレストランが、客が減ったとこぼしているのが耳に入ってくるようにもなった。そういったこの店の成績と反比例して、一郎の酒癖は日増しにひどくなり、朝、「ボンジーア」という、この一言だけが、普通の声である。
それから十五分後には、もう違う人になっている。これが段々派手になり、夜まで続く。この店の主は、私になってしまっている。