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道のない道=村上尚子=(40)

 一郎の辛さは良く分かる。でも、今私たちは、そんなことを言っている場合でないことも彼は知っているのだ。その葛藤に負けてしまった一郎……
 ところで、その後、酔っ払いにしては、気違いじみてきた。ある日、ずっしりと重い鍵の束を私に見せた。
「この鍵は、今盗んできた。これで銀行に入る(盗みに)けに、人に言うなよ!」
 私は、ただただぽかーんとした。と思うと、雨の日の真夜中、
「このヤロウ! このヤロウ!」と言って、隣の垣根に向かい、レンガを投げつけている姿は、不気味でさえある。
 それから十日後、一郎は包丁を振り回し出した。子供たちと室に飛びこんで、内から鍵をかけた。すると一郎は外から、火薬の粉が入ったビンを手に、
「バカやなあー出らんなら、この火薬に火をつけるぜよ」
 と、のどかな声を出したかと思うと、マッチをする音がするではないか!
「キャーッ!」 と云って再び室から飛び出した。

 ある昼時、どこから一郎のことを聞いたか、仲人がやって来た。そして、この成松さんが
「もう別れなさい」
 と深刻な表情で話して帰って行った。それでも数ヶ月、過ぎていった。そんな時、今度は、信がひろ子へ性的ないたずらを始めた。これには私も衝撃を受けた。
「ああ……この家はもう……」
 私は離婚を一郎に迫った。すると彼は、たいして顔にも出さず、
「子供はオレたちの子が二人やけに、一人づつ分けよう。里子はオレが取るぜよ。いやなら別れん」
 という。これも又、ショックであった。まさか一人取ると言うとは思ってもいなかった。里子は、みんなに好かれた子で、私も可愛がっていた。それを知っている一郎は、里子を人質に取り上げれば、私は別れることは出来ないだろう、との作戦に出たのだ。
「ひろ子を救うためには、里子を捨てよう」
 と、苦しいというような言葉では、言い表わせない決断を下した。次の日、僅かな荷物をまとめて、そこを出た。
 ひろ子と琴子を連れて……
「この家は、私が出たら、どうやって食べて行くのだろう……」
 私は貯めていたへそくりを全て、目につく所へ置いて去った(数日生きられる分のお金だけを持って)。出て行く前、あどけない顔をして昼寝をしている里子の髪を、ハサミでひとつまみだけ切り取り、ハンカチに包んだ…… 

     花  柳   界   へ

 この頃、父母たちも、農業を諦め、サンパウロに住んでいた。
 ほそぼそと縫い物の請け負いを、家族みんなでやっていた。平屋を借りて、一室を仕事場にあてていて、狭い廊下まで利用し、冷蔵庫を据えてある。仕事部屋の中には、裁断された布や、工業用の大きな巻き糸などが山積みされて、その中へ埋まるような姿で、全員が内職をやっている。皆、希望のないむっつりとした顔である。