ブラジルの現代詩の第一人者として知られ、「ネオ・コンクレティズム」を推進した詩人のフェレイラ・グラールが4日朝、リオデジャネイロ市で肺炎のため亡くなった。86歳だった。5日付現地紙が報じている。
マラニョン州サンルイス生まれのグラールは、若い頃から詩人として生きることを決め、19歳のとき、ブラジル史上最大の詩人、カルロス・ドラムンド・デ・アンドラーデの現代詩に影響を受けた。
グラールはその後、前衛的な実験表現「コンクレティズム」に傾倒。そこからは、それをさらに先鋭化させ、言語の視覚的効果や時の経過を織り交ぜた「ネオ・コンクレティズム」運動をリジア・クラークらと共に展開。1959年に発表した評論「無対象理論」は文学界に衝撃を与えた。
だが、60年代になると文学より政治に傾倒して共産主義者となり、軍事政権と戦い、ソ連やペルー、チリ、アルゼンチンに国外逃亡もした。
76年には、まだブエノス・アイレス亡命中に発表した長編詩「ポエマ・スージョ」が大ヒットし、数多くの言語に翻訳された。
グラールは77年に帰国後、逮捕されて拷問も受けたが、国際世論に助けられ、釈放された。
その後はリオデジャネイロ市に拠点を起き、意欲的に創作活動を展開。「ナ・ベルチジェン・ド・ジア」(80年、詩)、「エタッパス・ダ・アルテ・コンテンポラネア」(86年、エッセー)などを次々に発表した。
また劇作家や脚本家、翻訳家としても活躍し、85年にはフランス文学「シラノ・ド・ベルジュラック」でモリエール賞を受賞し、90年にはグローボ局のノヴェーラ「アラポンガ」の脚本を手がけた。
ブラジル文学アカデミーのメンバーになったのは2014年と遅かったが、2002年にはノーベル文学賞の候補にもあげられていた。
同氏の死後、テメル大統領や、同郷で自身も小説を書き、ブラジル文学文学アカデミー会員でもあるサルネイ元大統領らが弔辞を発表している。
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