隣の寿司屋と女将は、大変親しく付き合っている。四才の一人息子も、あどけない顔をして、女将の店に入りびたり、頭を撫でられていた。
ある日、この子が竹竿を持ち込んで来て、客の頭を叩いて回り始めた。女将は見ているだけ。食事中の客も、黙って叩かれている。私は、これはいくらなんでも叱らないと、と思って、
「だめよ!」 と言った。その声を聞くや否や、尚も力を入れて、客の頭を叩き始めた。私は、小走りに近づいて行って、子供を叩いた。すると、更に竿を振り回す。私は思い切って引っぱたいた! すると、さすがに、
「ウェーン」と泣きながら帰って行った。親が怒鳴り込んで来るかと、覚悟していたが静かにしていた。
あくる日、あの腕白が、店にはいって来た。
「しょこしゃん!」と、いかにも私へよそ行きの声を出した。
「ふふ……」
呑 み 屋
S小料理屋にも、すっかり慣れて、二年過ぎた頃である。洋介が、何かを決心した表情で、ぽつんと言った。
「お前に、アパートを買ってやるぞ!」
「花園」にいる時、聞いたことはあった。パトロンが女にアパートを買ってやっているのを。洋介と深い仲になって、五年になる。しかし、あのような女たちは特別で、私は平凡な女、そんな資格はないと割り切っていた。
「どんな場所を買おうかなあ」と洋介。夢のようだ。けれども私は考えた。そんな金が私に有ったら、商売をしたいと…… そっと打ち明けてみた。彼は意外な顔で、
「何の商売か」
「呑み屋」
私はやはり商売が好きなのだ。そのまず第一歩として、呑み屋を開きたい。今の私なら、過去の経験から、まったく不安はない。洋介は、何も言わず許可してくれた。万感胸に迫る思い、この日は周りの景色が違って見えた。
私は「花園」に入った頃から、商売に関心があった。例えば、
「あのネオン、冷たくて人を惹きつけないな!」とか、
「道路脇のこの店、反対側でないとだめだ。右側と左側では、人の通る数に大差がある。これは大事なことだ」
「この洋品店は、入口は一段高くなっている。たった一段だが、一段下がって入る入口とは大違い。客の心理に反する。そのうち潰れるだろう」
「この店は、昼間から店内をうす暗くし、ムードを出して赤い照明を点けている。そのくせ、軽い食事も出している。もし呑み屋が駄目なら食堂を、という臆病さが、客を落ち着かせない。きっと潰れる」
等と判断しながら、街を歩く癖があった。楽しんでいたのだ。今度は自分の番となった。
S小料理屋の女将に、わけを話してこの店を辞めさせてもらった。さっそく場所捜しから始めた。「鍵」は場所だ。これが適当かどうかで、成功の率は五十パーセント決まると思う。私は飛び回った。普通なら力尽きて、寝込むくらい探し回った。たまに、いやしょっちゅう食事も忘れている。いくらあっても時間が足りない。さすが少し痩せたなと、自分でも感じてはいる。