第2次大戦中に強制立退を迫られ、ドゥトラ政権下で連邦政府により接収されていた旧サントス日本人学校――。先月10日に全面返還を認める法案が連邦上下両院で可決され、5日にテメル大統領が署名、このたび正式に発効した。軍施設として利用された73年の歳月を経て、同地日本人会創立時からの念願であった全面返還がようやく実現し、サントス日系社会の念願が叶った。
戦前に日本政府からの支援を受け、日系団体の活動の拠点及び日本語学校として機能していた同会館。だが、1943年7月にサントス港沖でドイツの潜水艦が米伯の商船を撃沈する事件が起き、社会政治警察(DOPS)は同市在住の枢軸国移民に対し、24時間以内の強制立退き命じた。戦後の連邦令で建物は接収され、陸軍省の管轄下に置かれていた。
同日本人会は1929年に設立され、日本語教育にまい進してきたが、戦中の強制立ち退きにより消滅した。戦後52年に同会が再開、そのときの初代会長・中井茂次郎さんの時から返還運動が始まった。代々の会長がそれを支え、78年からは上さんが会報を発行して訴えてきた。
94年に同市出身の伊波興祐元下議が全面返還を求めて議会に法案が提出していたが、議会での上程待ちが続き、ジョアン・パウロ・パパ連邦下議の先導により、緊急案件として審議を待つ格好が続いていた。
今年5月、中前隆博在聖総領事と懇親した同会代表者らは本件の重要性を訴えた。中前総領事の働きかけで、7月には梅田邦夫元大使らと共に下院議会を訪れ、連邦議員らと懇談し、法案の早期上程を要求。先月10日に連邦上下両院で承認を経て、今回テメル大統領が5日に署名したことにより、73年越しの願いがようやく叶った。
06年に同会へ「同敷地と建物の使用権を日本人会に認める」との署名が行なわれた。それを受け、08年には移民百周年を祝って来伯した皇太子殿下の御臨席のもとで、落成式が盛大に行われていた。
現在、同会館では日系社会のイベントや講座、文化事業などに使用され、生徒百以上を抱える日本語教室が運営されている。
返還目指して孤軍奮闘=25年訴え続けた上新さん
1978年から2003年まで25年間もサントス日本人会会長を務めた上新さん(かみあらた、94、福岡県)は、その間、返還運動に孤軍奮闘してきた。
「戦争で接収された日本移民の学校を取り返すまで、コロニアの戦後は終わらない」と歴代の邦字紙記者に熱心に働きかけ、「日本人学校返還を」という記事を何度も何度も出してきた。
執拗なまでのその働きかけがなければ、返還運動は途中で立ち消えになっていただろう。
娘の上小代子さん(61、二世)は、「立派な沖縄県人会館があるのに、いまさら返還の必要性があるのか、と周囲からは煙たがられたこともある。でも父は決して諦めなかった。父は日本人会を家族よりも愛していた」と当時を振り返る。
返還運動の傍ら、祖国である日本を大切にし、子孫が忘れないようにしなければとの思いで、自宅で日本語教育にも務め、幼少期から両親と一緒に運動に参加してきた小夜子さん。正式な返還について知らされ、「父の活動がようやく報われた思い。嬉しく思う」と静かに語った。