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道のない道=村上尚子=(49)

 が、私の魂が踊っている。これほどの活力が、どこから湧いてくるのか…… バロン・デ・イグアッペ通りに、気に入った場所を見つけた。中国人のもので、貸し出していた。

 私とこの女主人は、ポルトガル語がまるで駄目、筆談ということになった。私は僅か知っている漢字を、数個並べるだけ。ごたごた要らない文字が無いだけ、お互いよく分かった。私が彼女に頼みたいことは、今から呑み屋を開けるので、その許可が取れるまでは、契約を待って欲しいというものであった。女主人は了解した。
 ところが、一ヶ月ももたついて、フィスカール(検査官)の許可は下りなかった。私は落胆してしまった。
 待ってくれていた女主人へ、又二、三文字並べて、頭を下げた。スタートからみじめに失敗をして、出足を挫かれてしまった。涙が頬を伝わって、顔も上げられないほど悲しみながら、一ヶ月分の家賃を倍にして、小切手を差し出した。
 すると女主人は、その小切手をそっと押し返し、もう一度、フィスカールと交渉しなさいと、励ましてくれて、私は半分ほど希望を取り戻した。彼女は、
「フィスカールは、金が欲しいのだから、少し握らせなさい」とも言った。彼女の励ましと知恵のお蔭で、一週間すると、許可は下りたのだ。この時、女主人に、「私と商売をやらないか」と誘われたが、断った。
 この一連の話を、洋介にした。彼はすぐにその金を払ってくれて、今度はこの店のために、洋介が立ち上がった。彼は顔が利いていて、宮大工という者を連れてきて見積もらせた(宮大工というのは、釘を使わないで建てる古典的な技術者)。なぜそのようなものに、こだわるのか私には分からない。大工の見積りを聞いた洋介は、即座にその額を半分に値切った。ところが大工の方も「それじゃあ、古い木材を使いましょう」ということで、十分もかからないで双方解決したのには、びっくりした。洋介が相場を知っていたのか……
 この小さな面積の店は、L字型にカウンターを据え、入口の半分は、下を腰板、上が窓になっている。問題は、いよいよ宮大工の腕の見せどころである、天井だ! 船底造りにするという。本当に、出来上がって見ると、舟の底のようだ。見上げると、舟を浮かべた湖面にいるような、落ち着きを出している。洋介の宮大工にこだわった理由が分かった。カウンターには、八脚の椅子、後の飾り棚もバランスよく、実用を兼ねて取り付けされている。
 店の名前は「円苔」、字画数にこだわった。意味は何もない。ただゴロが良いと思った。入口には、のれんを下げて、《お酒の店》と書いて染めてみた。さあ! これからという時である。近くの本屋のMさんが、通りかかった。
「尚子さん、この辺がどんな所か知っています? 軒並み呑み屋が並んでいますが、女たちは身を売っているのですよ! こんな場所で店を出すもんじゃあありません」
 全く私はゆるがない。それにすでに手を出している。普通の呑み屋を必要とする客もきっといるはずだと思っていた。昼間は、腕をふるって、つまみを作った。ただ私が一滴も酒が飲めないので、どんな物がつまみにいいかが分からない。なんとか、七、八種類、用意した。それを、透けて見える器に入れて並べた。
 初日は、客が六名入った。次の日から段々増えてきている。