【共同】かつて、日本から一獲千金を夢見て海を渡った人たちがいた。そんな移民の歴史を後世に引き継ごうと、和歌山市の市立和歌山市民図書館が「移民資料室」を開設して今月で32年。戦前の雑誌や政府の資料など収蔵された約9千点からは、移民の生活や苦労がうかがえる。
「貴重な資料ばかりですが、全て手に取って見られるようにしています」。司書の中谷智樹さん(60)が、海外移住などを取り扱った1908年発行の雑誌「商工世界太平洋」をそっと開いた。読者からの質問にQ&A形式で答えていて、当時の社会情勢が伝わってくる。
資料室は84年12月にオープン。中谷さんによると、全国に約3千ある公立図書館で、移民を専門に扱う資料室は唯一という。研究書や帰国した人が書いた現地のガイドブック、移住先の国で発行された邦字紙などが閲覧できる。
明治以降、経済的困窮を乗り越えようと、海外への移民が急増。中谷さんによると、70年代までに和歌山県から海外へ渡った人数は広島県や沖縄県などに次いで全国6位。ハワイやオーストラリアで、事業に成功して公務員給与の10倍以上稼ぐ人もいた。挫折し帰国した人も多かったが、資料室が収集した伝記からは、故郷の町に送金し自治体財政を助けた移民もいたことが分かる。
一方で、文化や習慣の違いから現地住民と摩擦が起きたり、太平洋戦争中に米国やカナダで日系移民が強制収容所に送られたりといった苦難の歴史も。中谷さんは「自分は何人なのかと葛藤を抱きながら、少数派として生き抜いた移民の歴史を知ってほしい」と語る。
海外から資料室を訪れた日系移民の子孫が戦前の名簿を閲覧し、日本に住む親族を捜し当てたこともあるという。
中谷さんは全国の大学や、県内の小中高校などで出前講座もしている。「グローバル化が進んだ現代だからこそ、移民の経験から学び、日本で暮らしている外国人への理解を深めてほしい」と訴えている。
□和歌山県と移民□
外務省のデータによると、1800年代後半から太平洋戦争までに、全国から100万人以上の日本人が世界各国に移住。和歌山県では、戦後にピークを迎えたブラジルへの移民も含めると約3万3千人に上った。渡航先は米国やカナダのほか、アルゼンチンなどの中南米。オーストラリアでは高級ボタンの材料になるシロチョウガイの採取に携わる人が多かった。ハワイへの移民で、現地の漁法を和歌山に持ち帰り定着させた人もいた。
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