ホーム | ブラジル国内ニュース(アーカイブ) | オスカールが中国に移籍=元セレソン司令塔の復活なるか?

オスカールが中国に移籍=元セレソン司令塔の復活なるか?

オスカールのセレソンでのプレー(14年11月、Rafael Ribeiro/CBF)

オスカールのセレソンでのプレー(14年11月、Rafael Ribeiro/CBF)

 14年のサッカーW杯でセレソンの司令塔をつとめたことで知られるオスカール(25、チェルシー)が23日、中国スーパーリーグの上海上港に移籍することを発表した。
 オスカールの移籍金は年俸2千万ユーロという巨額のもので、世界的に見てもメッシやクリスチアーノ・ロナウド以外には例のない額となった。
 オスカールは「この機会を与えてくれたチームに感謝したい」と、チェルシーへ感謝を示し、早速、上海上港のユニフォームに袖を通した。
 オスカールは2012年のロンドン五輪で注目を浴び、1歳年下のネイマールと共にセレソン新世代をアピール。以降、セレソン不動の司令塔として活躍した。
 14年W杯では、開幕戦の対クロアチア戦でのダメ押しゴールや、ネイマールをケガで欠いた準決勝でドイツに1―7で惨敗した際、唯一の一矢報いるゴールなどがサッカー・ファンの記憶に残っている。
 また、ロンドン五輪終了後の2012年9月からはイングランド・プレミア・リーグの強豪チェルシーに移籍し、2列目の要の選手として活躍。ここまで203試合に出場し、38得点を決めている。
 だが、ここ数年は、故障と不調続きで思ったようなプレーが出来ずにいた。15年のコパ・アメリカは故障で欠場し、同年10月に行われた18年W杯の南米予選初戦の対チリ戦では、足取りの重いプレーでファンとメディアの痛烈な批判を浴び、同試合の敗因と目された。
 また、次戦の対ベネズエラ戦でも調子が上がらなかったために、それ以降のセレソンの試合では先発出場の機会を失い、その座をレナト・アウグスト(北京国安)に奪われたままだ。最近では、セレソンの召集を見送られることも珍しいことではなくなっていた。
 そして、レギュラーとして常時出場していたチェルシーでも、16年9月からのシーズンでは精細に欠け、消化試合数の半分ほどの9試合に出場して1得点を挙げたにすぎなかった。
 上海上港では、14年W杯のときにセレソンのフォワードのレギュラーだったフッキとチームメイトになる。上海上港のスポンサーは中国でも有数の大企業で、近年、戦力補強が目に見えて熱心だ。スーパーリーグでは13年に1部入りしたばかりのチームだが、15年2位、16年3位と、常勝チームの広州恒大に迫る勢いを見せている。
 オスカールの中国移籍に関しては、「故障や不調があったとは言え、まだ若く、欧州のリーグで十分戦えるレベル」として惜しむ声が多くあがっている。
 セレソン現監督のチッチ氏は、現在2列目をレナト・アウグスト、パウリウーニョ(広州恒大)と、中国でプレー中の選手を先発起用しているため、中国でのプレーが必ずしもセレソン召集の足かせになるとは限らない。結果次第では、定位置奪回もありえるかもしれない。(23日付ランセ・サイトより)