現在パラグァイが世界で第5位を誇る大豆生産量(年900万トン弱)や、かつては我が国ではとても出来ないと云われていた良質の小麦が今では立派な輸出産物にまで成長し、ブラジルあたりではこれを好んで買い付けている実績の蔭には、長年来の日本人農家の弛まぬ努力があったからこその話だとは、日本人が自負しても誰しも異議はない筈である。
大豆ではもう伝説的な逸話になるが、戦後フラム(現ラパス地区)に入植した、故秦泉寺(しんせんじ)貞光(さだみつ)氏(高知県出身)は大豆の大型機械化栽培に成功された移住者の一例であるが、「ワシが日本から持って来た一握りの大豆の種が、今パラグァイの早稲種の大豆の基になったのだ」と、誇らし気に筆者に語ったのを良く覚えている。
一方、言うなれば、そのようにしてパラグァイに広まった大豆栽培の裏作としての小麦生産も集約的に進み、国内需要を満たす上に貴重な新輸出産品としても定着し、今では大豆と共に全国で此のほか作物の大型機械化農業生産にも及んだのである。
このパラグァイの企業化農業の発展には、日系人のみならず隣国ブラジルからの多くの来住者やメノナイト移民の貢献も重要な役割を果している。
ところが世の中は全てがバラ色ではないもので、大農耕に伴う残留農薬や化学肥料、及び自然環境破壊が来たす色んな弊害を口実に、貧農階層や自称土地なし農民の大衆は、他人の進歩や成功を率直に認める事が出来ず、正に不平タラタラである。
また、それを裏で扇動するのが左派の政治家連で、自称「EPP・パラグァイ人民軍」に長期拉致され、未だに解放されない警察下士官、メノナイト(2名)、や著名の農場主のケースは其の顕著な現象である。
これは他人事ではなく、日本人も狙われる可能性はあるので、ゆめゆめ注意を怠っては ならない。
こうして視ると、善良に一生懸命働くのはいかにも悪いことをしている様で、どうも腑に落ちない。
大規模農業の裏側で
一つの例として挙げると、カニンデジュ県はアルトパラナ県の北に隣接し、かつてのセッテ・ケーダス大瀑布(パラグァイ名サルトス・デル・グアイラ)のパラナ河の流域で、ブラジルと接する新進の発展県だが、最近は機械化農業の振興で頓とみに農業生産が進み、2016〜17農年度の大豆の収穫は地域で記録的な豊作が予想されている。これは決して悪い事ではなく、より多くの生産はより豊かな収益を意味する。
しかし、問題は単作大豆の大量収穫は少数の人達を潤すだけで、多角栽培の代替作物を導入しないと一般農民の幸福は得られないと、永遠の不平分子達は主張する。
ここでの質問は、耕作面積及び収益の拡大にはいかなる代償が払われるかと言う疑問である。
東部パラグァイの地域では、「森林伐採ゼロ法」の別名で知られる自然林保護法が20年前から執行されている。しかしながら、その自然林を破壊する機械化農業生産の勢いは決して止とどまる事を知らない。
単にカニンデジュ県においてだけでも、件の禁止令が有るにも拘わらず10万ヘクタールの処女林が企業農業生産の為に犠牲にされた。
前述の「森林伐採ゼロ法」なる規制は、取り返しのつかない自然環境破壊の被害防止の為に公布された厳戒令の筈である。
汚職で暗躍する高級官僚
ところが、収益性の高い大豆生産の魅力は如何に大きいかと云えば、掛替えのない処女林さえも犯し、原木や木炭の密売、湿原の喪失、そして悲惨な農薬害に依る人の健康被害の悲惨な結果も敢えて厭わぬが、其の裏で暗躍するのが政府の高級官僚を買収し、操る魔手が健在するのである。
贈賄汚職の君臨を証すのが、パラグァイでは司法が正ただしく機能していなく、今までに環境犯罪犯が決して何らの検挙、処罰もされずに、全ては無罪放免されている事だ。
大豆生産そのものは多くの者が〃悪魔化〃する様な「罪悪問題」である訳はない。
問題の本質は、政府関係当局の腐敗にあるのであって、その倫理・道徳が問われるところである。
大きな金が動く所には汚い話が流れるのが常であるが、本稿の「大豆生産は罪悪か?」の題名の裏にはどうも厄介な貧者の「ひがみ根性」が潜んでいる様なので、ウインストン・チャーチル卿が社会主義を評した時の名言があるので一寸その意味を改めて味わって見たい。
すなわち、チャーチルが言った事は、
「社会主義は失敗の哲学であり、その不知の信条と羨望の説教に付帯する固有の美徳は、不幸や悲惨を皆に公平に分配する事にある(西語より坂本訳)」であった。