現在ブラジル代表は、2018年ロシアW杯南米予選で首位に立ち、国民は「エウフォリコ」(陶酔状態)ともいえる空気に包まれている。昨年の前半まで同予選で6位に低迷、同6月に米国で開催されたコパ・アメリカ100周年記念大会で、屈辱のグループリーグ敗退を喫した直後の「カタストロフィコ」(破局的)とも言える空気とは全くの正反対だ。ここまで劇的な変化をもたらしたのは、監督のアデノール・レオナルド・バッチ(55)、ニックネームの「チッチ」の方で知られている。
ブラジル代表は、コパ・アメリカ100周年記念大会でまさかの8強入りさえも逃した。それまで批判の声も多く上がっていたドゥンガ監督に、ブラジルサッカー連盟(CBF)もついに見切りをつけ、連盟内部、評論家、マスコミ、解説者たちより、「彼しかいない」との評判が高かったチッチに「最後の切り札」として監督就任を要請した。
ジョゼ・マリン前会長、デル・ネーロ会長らを筆頭に、CBF腐敗を強く批判していたチッチだったが、「連盟とブラジル代表は別」と6月20日に監督就任を受け入れた。
8月のリオ五輪は就任間もなかったため、育成部門を長く統括してきたロジェリオ・ミカーレ氏が指揮をとり、ブラジルに初の五輪男子サッカー金メダルをもたらした。
リオ五輪の興奮も冷めやらぬまま、「チッチ・セレソン」は9月、およそ半年ぶりに再開されたワールドカップ予選に挑んだ。
6試合で6位から1位へ
チッチが監督を引き継いだ時点で、ブラジルはW杯南米予選で6試合を消化して6位。9月1日、初陣エクアドル戦から11月10日のペルー戦まで、2カ月余りで6試合消化する日程が組まれていた。
連係を深めるための親善試合など一切ない。もし「チーム作り」にいたずらに時間を費やしていたら、あっという間に予選全18試合の内、12試合、3分の2が終了してしまう。もしその時点で中位に沈んでいたら、いよいよチッチが就任会見で、自身の監督就任に浮かれる周囲にクギを指すように語った「初のW杯予選敗退のリスク」が現実的なものになるところだった。
しかし、「チッチ・セレソン」は、エクアドル、コロンビア、ボリビア、ベネズエラ、アルゼンチン、ペルーを相手に6連勝を達成し、就任前の6位から一転、今では堂々の首位だ。
W杯予選での6連勝は1970年のメキシコ大会予選以来。余談ながら、この時は予選全体で6試合、ブラジルはそのすべてに勝ち、メキシコでの本大会でも、ペレを中心に全勝優勝を果たした、「モンスターチーム」だった。
常勝チームに一変させた秘密とは
短期間で、チームを取り巻く空気を、「破局的」から「陶酔状態」にまで一変させたチッチの秘密は何だろうか?
前任者ドゥンガには招集されなかった、FWガブリエル・ジェズースを先発に抜擢すると、6試合5得点の大活躍。さらに大きな衝撃は、中国リーグでプレーするMFのパウリーニョを14年のW杯以来、2年ぶりに招集し、レギュラーで使ったことだった。このように選手を見る目の冴えが、チッチの秘密だ。
チッチは16年11月26日付エスタード紙に掲載されたインタビューで、「誰もパウリーニョがどうしているか、中国リーグにいることさえ知らなかった。どうして彼を抜擢したのか」と聞かれ、「パウリーニョは14年W杯を戦っているし、コリンチャンス時代には私とともに12年のクラブW杯でも優勝している。本来の能力に疑いはなかった。私のスタッフはいつもリオのCBF本部に詰めて、世界中のブラジル人選手の動向を追っている。実際に見て、プレーがよかったから招集しただけ」と答えている。
強敵のアルゼンチン戦に3―0で圧勝するなど、昨年前半までとは別のチームに生まれ変わったような好調さは、一言では説明がつかない。だが、どの選手も「チッチは全員を公平に見てくれる」「ドゥンガ時代とはロッカールームの雰囲気も変わった」と、モチベーションの高まりを口にする。
ブラジルは本来、選手はそろっている。レヴィー・クルピ監督も「選択肢がありすぎることが逆に問題」と語っている。彼はブラジル中の有力チームを率いた経験があり、もちろん優勝も。日本ではJリーグのセレッソを強豪の仲間入りさせたこともある凄腕監督だ。
チッチとそのスタッフの研究熱心さには定評がある。「コウチーニョは左サイドが得意ですが、右サイドでも大丈夫ですか?」と記者に問われ、即座に「先週所属のリバプールで右サイドでも好プレーをみせている」と返すほどだ。
現在ブラジル代表は南米予選を12節まで終了し、勝ち点27で首位に立っている。過去の予選で勝ち点27をとって出場できなかった例はなく、現時点で「W杯出場権はほぼ手中に収めた」といえるだろう。
見えてきた6度目優勝への道
すると当然、避けて通れないのは優勝、「6度目の世界制覇」への国民の期待だ。
最近2回の優勝、1994年と2002年は、「予選で大苦戦し、国民からも強烈な批判にさらされ、期待値も低いままに本番に突入。危機感から選手の団結が高まり優勝」のパターンを繰り返している。優勝候補筆頭の前評判で挑んだ2006年や2014年などは優勝を逃している。
そのジンクスからすると、今チームが絶好調で、国民が「このままチッチに任せておけば、W杯優勝間違いなし!」と浮かれているのは好ましい状況ではない。
チッチも慎重姿勢を崩さず「ドイツ、フランス、ポルトガル、スペイン、イタリアなど欧州の強豪と親善試合を行いたい。また、まだ私のチームは先制されたことがない。いずれ先制点を奪われるときもあるだろう。その時こそ、選手がどう反応するか、真価を見極めたい」としている。
2018年ロシアW杯1年前の2017年は、W杯のリハーサル大会としてコンフェデ杯が行われる。2015年コパ・アメリカ優勝を逃したセレソンは、コンフェデ杯創設以来、初めて出場を逃した。チッチの望む「欧州の強豪」との親善試合は、11月まで待たなければ実現しない可能性が高い。
加熱する周囲の期待や、それに影響される選手の慢心、チームのピークを来年6月に合わせられるか―といった贅沢な悩みを抱えるセレソン。「私のチームは、まだ発展途上」と語るチッチは、今年もさらなる高みへとブラジルを引き上げるだろう。