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二世のウチナー意識回帰=次世代の心境変化に共感の声=群星第2号の合評会で

挨拶する宮城あきら塾長(中央)

挨拶する宮城あきら塾長(中央)

 沖縄県人移民研究塾(宮城あきら塾長)の同人誌『群星(むりぶし)』第2号の合評会が先月14日午後5時、同県人会本部会議室が行われた。参加した約70人は2時間に渡って感想を語り合い、その後は親睦会で親交を温めた。

 宮城塾長は10月に亡くなった寄稿者、宮尾進人文研元所長に黙祷を捧げ、「単に同化するのでなく、ウチナーンチュとしてのアイデンティティを強めながらブラジル社会にどう貢献していけるのかという観点が求められている」と挨拶した。
 その中で、島袋栄喜県人会長が10月の世界ウチナーンチュ大会で8千人を前に挨拶した「ウチナーンチュの心をブラジル社会の精神文化として普及し定着させ、もってブラジル社会に貢献しながら世界の平和を願う」との言葉を今後の方向性として紹介した。
 参加者からの感想の先頭を切った前田徳蔵さんは、島袋会長のインタビュー記事にある「二世は戦争中、敵性国人だとイジメられ、日系人であることを恥だと感じていた。でも今の三、四世は沖縄文化に誇りに感じて勉強し、親である二世に教えるようになった」との内容を称賛した。
 高良アレシャンドレさんは「日系人は戦争中には敵性国人として迫害され『ペリーゴ・アマレーロ』と呼ばれた。当時の二世は自分を守るために金持ちを目指したり、武術を習ったりしたが、私は学問を身に着けた。その結果、コミュニティから70年間も離れた。でも10年ほど前、サントアンドレ市文化局長を務めていた時、県人会支部が市文化センターの借用願いに僕の所に訪れた。それをきっかけにルーツ意識を取り戻した。ウチナー文化は普遍的で、世界で通じると確信する」と力強く演説した。
 ウチナープレス紙を発行する知念ヴァネッサさん(四世)も「若い世代にウチナー意識を強めるものが増えている。コミュニティの歴史を書き残すために新聞を始めた」と発行のきっかけを説明した。「ブラジルではジャポネーザと言われていたが、日本にデカセギにいったらブラジル人と呼ばれた。沖縄で親戚に会いに行ったら『おかえりなさい、あなたもウチナーンチュよ』と歓迎されたのに感激した。あの感動があるから新聞を続けている」とのべた。
 城間達雄さんは「保久原(オクバロ)ジョルジの論文は興味深い」と強調し、「彼も子供の頃は日系人の中でも少数民族である沖縄系であることが恥ずかしいと思ったと書いてある。沖縄系より大きな日系社会の日本語を覚えるより、もっと大きなブラジル社会に飛び込んだ方が良いと考え、ブラジル人の中で地位を築くことに心を砕いた」と彼がエスタード紙論説委員になった動機を代弁した。
 「でも、彼は父の歴史を調べて本『オ・スジト』を書く中でウチナー意識に目覚め、今では誇りを持つように。ウチナーンチュ大会で沖縄に行ったとき、混血の子供を親戚の元に連れて行ったら、昔からそこに住んでいたかのように扱われ、子供がすっかり馴染んだのに驚いた―との話に感動した」との感想を熱くのべた。


□関連コラム□大耳小耳

 同人誌『群星(むりぶし)』第2号には、笠戸丸移民で最初に沖縄系集団地を作った功労者、宮城利三郎の顕彰碑の所在が不明になっていたのを探し出し、その歴史的貢献を掘り起こした「秘められた歴史の原点、宮城利三郎の顕彰碑」(宮城あきら)、宮尾進さんの絶筆ともいえそうな「貴重な『歴史の証言』」。保久原ジョルジさんらインテリ二世のルーツ回帰の興味深い心境譚が詳しく日ポ両語で書かれており、読みどころが多い。沖縄県人会や本紙編集部で無料配布中。