どうやら、この寺の家族は、私を友行の嫁として、受け止めているらしい……困ったことになった。
寺では、父親が亡くなり、弟が継いでいて、かわいらしい息子と嫁もいる。母親は、一応この寺では、私の義母ということになったので、私は彼女を「お母さん」と呼んだ。痩せた小柄な人で、温かみのある人だ。彼女とは馬が合うようだ。
お母さんは、寺の切盛り一切をこなして、実権を握っているようだ。又、妹夫婦とも会った。少し離れた地域に住んでいて、飾り気のない人たちで、私は好きになった。
私たちは、その日のうちに、友行の住んでいるというアパートへ帰ってきた。汽車でほんの三つ目の駅から近い所である。思ったより明るく、広さも間取りも良い。
一段落したので、次の日からはすぐでも、私の仕事の準備にとりかかりたいところだが、自分の故郷を一目見たくて、出かけた。同じ福岡の田川という処である。そこの石場という村に住んでいた。
海外に移住が決まった頃は、真冬の二月であった。少女の時から(七歳までは朝鮮にいた)十九歳まで、この住みなれた土地を忘れないため、家の近所を一歩一歩胸に刻み込むようにして、歩いた。今、それを思い出している。
家から一歩出ると、土の道が左右に伸びている。この道は、お天気が悪くなると、でこぼこに水が溜まり、馬車や自転車が苦労して通る。目の前には、たんぼが広がっていて、その向こうは小さな山が木々で覆われている。その小さな森は、村の墓場でもある。家の前の道を歩いて、その森の下へ出る曲がり角には、いつも湧き水が、ぼこぼこも盛り上がっては、たんぼに流れていた。昔はここで、スイカを冷やした……
二十五年過ぎ去った今、その景色が消えている! どこにあったのか、全く跡形もない。巾の広いアスファルトの高速道路が横断している。あの大きな道のでこぼこも、湧き水も、たんぼも、そしてあのこんもりした森も消えて、平坦になっている。殺風景なアスファルトの上を、車が行き交っているだけに変わってしまっていた……
しかし、私の住んでいた家はあった。ところが、こげ茶色になってしまい、古びた小屋のような佇まい。とても人が住んでいるようには見えない……やっと倒れないでいるような姿をしている。
それにしても、あんなに小さな家だったのだろうか! すぐ隣には、どっしりとした平家があった。白い壁と黒の瓦葺で、まるで辺りを見守っているような構えのものであった。しかし、あの落ち着いた屋根瓦も何と、目の痛いような赤い瓦に変わり、あちらこちら改築された跡が、不揃いの板の色で並んでいる。大きなオモチャのように、様変わりしてしまった! 今まで私の胸にあった、懐かしい古里への想いが消え去った!
古里というのは、恋しくても、その哀しいしこりのような物が、体の奥にあった時の方がよい。その方が幸せだったということが分かった。
就 職
友行の仕事はソーラーというものを各家庭の屋根に取り付ける、その契約をすることである。屋根の大部分を覆う程の、大きな物である。ソーラーとは、太陽熱を利用して、水を湯に変えて、家の中へ通す装置である。