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ジャナウーバ=戦後移民市長が任期全う=教育重視、バナナ王の山田さん=コロニアの応援に感謝

山田勇次さん

山田勇次さん

 ミナス・ジェライス州北部のジャナウーバ市の市長を務めた山田勇次さん(69、帰化人)が、12月31日付で4年間の任期を全うし、1月1日に次期新市長に引き継いだ。バナナ園を経営する傍ら、山田さんは4年の任期の間に、同市の教育施設を充実させ、農業・衛生面でも多くの功績を残した。かつてダッタ・フォーリャ社の都市評価で最低レベルにあった同市は、5570都市の中で優良都市上位25%に昨年選ばれた。山田前市長は本紙を通じて、コロニアの皆さんからの温かい支援に感謝した。

 家族に連れられて1960年、13歳の子供移民としてレジストロに入植した山田勇次さん。2012年10月7日の全伯市長・市議選挙でジャナウーバ市長に初当選し、2013年から16年まで務め上げた。従業員を大切にする稲盛経営哲学を実践してバナナ園の経営を大成功させた手腕が買われ、同市民に推されて立候補した。
 市長時代に行った第一の功績は、100万レアルをかけて各学年4千人規模の大学を誘致するための受け入れ準備をしたことが挙げられる。完成すれば、医学部以外の学部はすべてそろう。
 そのために山田さんは個人の土地20ヘクタールを提供、校舎の周囲の道路12キロメートルにアスファルトを敷いた。現在、大学2校の仮校舎で400人が受講している。ほかに、小学校数を倍に増やした。
 衛生面では23カ所あった保健所を3カ所増やし、全26カ所を充実させた。
 農業面では農道を新たに500キロメートルも建設した。さらに連邦政府の資金を引き出して市内に1400軒の家を建てた。家族と共に住める家があれば、農業労働者は農村に留まってくれるからだ。個人的にはバナナ王として雇用を大量に生み、同時に市長として地域経済の活性化に寄与してきた。
 同州南西部のデルフィノポリス市(人口7000人)にもバナナ園を造り、出荷用に50台のトラックを載せることのできるバルサ(渡し船)を造った。同市長は町の経済が復興したことで、山田さんに名誉市民賞を授与して感謝した。
 山田さんは今年から「ブラジル盛和塾」第4代代表世話人を務める。1996年に入塾、2004年に海外塾生初の最優秀賞を受賞、稲盛和夫塾長から「日本人の魂を証明してほしい」と要請され、奮闘努力中だ。
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 山田さんは1947年7月20日、北海道音更(おとふけ)町の生まれ。小学校を卒業した1960年、家族9人で移住。ブラジル帰りの老人から「冬がなくバナナは一年中食べられる。地平線が見えないほど広い」と聞き、移住を決意。
 17歳の時、アメリカのジャーナリスト、ナポレオン・ヒルが書いた「巨富を築く13の条件」を読み、「おれはやれる」と潜在意識に言い聞かせて毎年300ヘクタールのバナナ園を開き、現在2千ヘクタールを所有する。少年の時に夢見た通り、バナナ園を開いて自家用飛行機に乗って農園管理するバナナ王と言われる成功者になった。


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 シャナウーバ市長だった山田勇次さんは昨年、市政の一環として、ジャカランダーの苗を市中心街に植えようとした。それまで全然緑がなかったからだという。ところが、その苗が自費で作ったものであるため、昨年10月の市長選挙で違反になる恐れがあるとの指摘があり、結局は諦めた。ほとんどバイア州に近い立地の同市の気候は乾燥と暑さが特徴。そこで自生する強い植物としてジャカランダーを選んでいたとのこと。楽器や高級家具に使われる優良な木材になるだけに、大量に植えておけば、イザと言うときの「市の財産」になっていたかも。