この日、父は車庫の屋根に登っていた。その近くに居た私のすぐ側で「ドサッ!」という音と共に、父が落ちてきた。車庫といっても二メートル以上の高さである。とっさに見上げると、屋根が破れて、ぽっかり穴が開いている。私は地面に倒れた父に、飛びかかって抱いた。
「何ちいうことをしたかね! ばかが!」
動揺している私が、あの怖い父を叱りつけている!
「うぉーん! うぉーん!」
私は父を抱きしめて泣いたーやがて父は起き上がった。
「どっこも怪我はしとらんかね?」
「うん……」
父は照れくさそうに、まるで幼児が母親に叱られたような姿で、自分の室へ戻っていった。父に対して、私自身、こんな感情があったとは、不思議なことであった……後で壊れた車庫の事件を琴子に話すと「あの時、私車の中にいたんよ。もうちょっとで、車を出そうとした時、じいちゃんが落ちてきた……」間一髪であった。
父は一旦、車に体が落ちてから、地面へと落ちたのだった。動転していた私は、娘のことは気付かなかった。
父 の 病 気
父と暮らし始めて、六年の歳月が流れた。
「のどが痛む……」と父が言う。
がまん出来ないらしいので、病院で診てもらうと、医者にいきなり末期の癌だと言われた。喧嘩していた弟の卓二が、ちゃんと父に病気のための保険をかけてくれていた。パウリスタ通りの裏にある「オズワルド・クルース」という病院へ入院した。すぐに喉の手術をして、もう口から食事をしなくていいように、腹に穴を開けた。そこから流動食を流し込むために、細い管を突っ込んである。これは父が死ぬまでその状態で、寝起きした。
時々、医師が家に帰してはくれるが、又すぐ入院となる。父は喉を手術したため、声は出ない。彼が何か話したい時は、筆談となった。そのうち彼は体の不調を訴えるようになり、特に足をマッサージした。又、父は流動食なので、自宅にいる時は便がカチカチになり、排便が出来なくなって来たのである。私はとっさに思いついて、石鹸水を注射器で、下から入れた。思った通り、灰色のポロポロしたのが出た。人工食なので匂いもない。とはいっても、あれほど威張りちらしていた父にとって、これがどんなに惨めなことか想像が出来る。
「お父さんのは、ひとつも気持ち悪くないばい」
と私は言って聞かせた。父は穏やかな顔のなかにも、やはり複雑な表情が混じっていた。彼には今、自分に起こっている、この症状で何の病気なのか、絶対に尋ねようとはしない。これは最後までであった。きっと分かっていたのだ…… 私は何かと忙しくなって来た。父はまだ、家の中は歩いて回っている。私に手まねで言っている。
「碁を打とう」「あとで……」
すると父は、それから三日間ふくれた。私はやっと時間を作って、
「お父さん、碁を打とう」
と呼びかけても、そっぽを向いている。
「お父さん! どうして打たんと?」
「打ちたくないなら、打ってくれんでもいい!」
と紙に書いた。
「ごめん! 打ちたくないんじゃないとよ。忙しかったき……」
と彼の機嫌をとって、碁の相手をした。まだこの頃の父は、碁を打つ元気が残っていた。
私はその彼の姿を眺めながら、遠い昔を思い出していた……。