来年に控えた日本移民110周年実行委員長の選考が難航しているとの噂を聞く。飯星ワルテル連邦下議には半年前と同様、就任への招待が再度行われたが断られたとか。来年が選挙の年であることから、より国政に関わることに専念したいとの思いが強いのではないかと想像される。110周年を機に、パラナ州の上野アントニオ、西森ルイス両氏のような地元日系社会に根を張った政治家に育ってほしいとコラム子も切に願ったが残念なことだ▼そこで浮上してきたのが、菊地義治さんだと聞く。援協会長という重責を昨年でやり終え、たしかに適任ではある。反対するものは何もない。ただ、理想論からいえば、若い世代を育てる機会を失うことが残念だ。これからの日系社会を10年、20年間担ってくれるような人材が育てば、それが最高の110周年の「置き土産」になる▼ふと思いついたが、日系社会とブラジル社会の両方を110周年に向かって上手に巻き込んでいける人物として、小野秋夫ジャミルさん(56、三世)も考えられる。彼はUSP法学部を卒業後、1988年に1年間、県費留学生制度で訪日し、福島大学で学んだ▼父(二世)は13人兄弟だったが、誰も日本に行ったことがなかったとか。彼は留学時、祖父母の移住以来、3代目にして初の墓参りを果たした。「ブラジルではジャポネースと言われ反発していましたが、ここから(自分のルーツが)来たのかと思ったら、日系人として自信が持てるようになった。自分の存在を確かめることができた」と留学体験を振り返る▼帰国後はサンパウロ市で福島県人会会長(89年~90年)を務めた。南マット・グロッソ州との境に近い、生まれ故郷アンドラジーナ市に戻った後、同市の文化体育協会会長(04年~08年)になり、奥ノロエステ線で最大級の会館(25メートル×50メートル)を建設。ノロエステ連合日伯文化協会の副会長も務め、09年から市長になった▼市長としての功績は本紙7面に詳しい。ブラジル社会に顔が利き、しかも「サンパウロ州日系社会の地方部再活性化」の重要性を良く理解している一人だ。来社時、小野さんに「もし移民110周年実行委員長就任の依頼が来たら引き受けるか?」と尋ねたところ、頼もしいことに「引き受ける」と即答した▼戦前に最多の日本移民が入ったノロエステ線は「移民のふるさと」だが、同連合会の傘下30団体の中には存亡の危機に瀕したところもある。サンパウロ州地方部への皇族ご来伯を繰り返しお願いし、地方式典や歓迎会に数万人を動員するという使命を通して、地方日系団体の横のつながりを強め、20年後も日系社会が続く基礎を作ってほしい▼小野さんは「ファゼンデイロの金持ちしかなれなかった市長に、貧乏な農夫の息子の私が当選できたのは、ジャポネースへの信頼感が強いから。奥ノロでは地域住民がみな、あの辺の土地は元々日本人が一生懸命に開拓し、後から大農園主が買い取って牧場にしたと知っている。そんな歴史が刻まれ、地域に根っこがあるから日本人が信用され、わずかな選挙費用で当選できた」と言う。「選挙運動に100万レアル以上使っただろうと良く聞かれるが、15万しか使っていない」。5年前の選挙では奥ノロエステに小野さんを入れて4人の日系市長が誕生したが、今回は小野さんの後継者タミコ・イノウエ氏のみ。汚職まみれの国政ゆえに、「潔白な日系政治家」の活躍が期待されるところだが、現実は厳しい▼移民110周年は日系社会だけの行事ではなく、地域社会全体にも影響力が生まれるようなものになれば一番いい。サンパウロ州地方部へ皇族がご訪問されることは、一般ブラジル人の関心も引く。それによって日系若者のルーツ意識が強まり、地元日系人の存在感が高まる。そうなれば一番理想的ではないか。(深)