昨年11月末にコロンビアで発生し、71人の死者を出した、サッカーチーム、シャペコエンセ搭乗機墜落事故。この事故の奇跡の生還者であるネットは、シャペコエンセの選手用トレーニングルームで黙々とエアロバイクをこいでいた。
彼は、何かにとりつかれたように毎日エアロバイクにまたがる。ひとこぎひとこぎが、サッカー選手として、本来の自分の姿に戻るための道だと信じている。
1月25日、リオのエンジェニャン競技場では、シャペコエンセ飛行機事故の遺族支援のための国際親善試合、ブラジル対コロンビア戦が行われた。
事故から生還した、選手のアラン・ルシェルとジャクソン・フォルマン、ジャーナリストのラファエル・ヘンゼルと共に会場に招かれ、観衆、選手たちから顕彰されたネットだったが、本心では、リオ行きは気が進まなかったという。
大勢の人々に、命をとりとめた事を祝福されたり、励ましの言葉を貰ったりするのが嫌だったわけではない。リオ行きのせいで、リハビリが2日も遅れる事が嫌だったのだ。
ネットは、事故から生還したが右脚を切断しなければならなかったゴールキーパーのフォルマンに説得され、リオ行きを決意した。
インタビュー当日も、直前まで4時間も汗を流したネットは、「あんな事故に遭って、生死の境をさまよった身体には、1日リハビリをする、しないで大きな違いが出る。今こうしてリハビリに取り組んでいて、1日ごとに回復が実感できている。今は毎日一つずつレンガを積むように、自分の体を再構築しているところだ」と語った。
事故からの生還者はボリビア人の乗組員2人を含めて6人いるが、発見が遅れたネットの容態が一番悪かった。「(救出されて運ばれた)病院でも3回は死にかけた」と語るネットだが、今では松葉杖なしで歩行できるまでに回復した。
「膝のじん帯を酷く傷めたし、脊椎は一つつぶれてしまった。手は骨折したけれど、かなり回復して痛みもない。すねの怪我のせいで、脚に痺れが残り、トレーニング開始に時間がかかった」と語る。
身体の痛みよりも辛いのは、サッカーができないことと、愛する子供たちと遊べない事だとネットは言う。
ネットは事故後、10日間もこん睡状態にあった。救出された時の記憶と、病院での初めの数日の記憶はない。
最後の記憶は、墜落直前のものだ。「機内の電気が全て消えて、変だと思った。仲間の選手たちと無事に着陸できるように祈って…。そこからはもう記憶がない。多くの人が、墜落直前はパニックになって、機内を走り回った人もいたのだろうなんて言うけど、そんな事はなかった。皆で祈っていた。でももちろん、みんな気が気じゃなかった。堕ちているのか、着陸しようとしているのかすら分からなかったんだから」と振り返った。
多くの悲劇的事故からの生還者と同じく、ネットも人生の些細な事に愛着を抱くようになった。「これまで見過ごしてきた物事のありがたさが身に染みて分かった。入院している時は、水も飲めなかったし、自分の足で立つ事もできなかった。人生は本当にはかない。お金や名声、成功なんてなんでもない」と語る。
プレー再開の目処はいまだに立っていないが、ネットは「復帰できたら、フィールドにはまるで生まれて初めて入っていくような感覚になると思う。生まれ変わったような気分にさえもなるかな? 人生には、気分が良く、力がみなぎっていると感じられる瞬間や、絶対に失いたくないって思えるような、そんな瞬間がある。選手として復帰する事で、またそれを感じたい。まだリハビリの道のりは長いかもしれない。だって、飛行機墜落事故に遭ったんだ。でも、リオデジャネイロ市パヴーナ地区で幼い頃抱いた、サッカー選手になるという夢にまたチャレンジしたいんだ」と語る。(1月28日付フォーリャ紙より)