水野龍がコーヒーを日本に広めたという隠れた功績を象徴する「カフェーパウリスタ」と、長年日の目を見ることがなかった彼の「笠戸丸航海日記」という重要なテーマに関して、サンパウロ人文科学研究所(本山省三理事長)とブラジル日本移民史料館(森口イグナシオ運営委員長)が共催して19日午後、第19回『コロニア今昔物語』講演会を行い、約50人がじっくりと耳を傾けた。昨年11月から1月29日まで同館9階で開催していた「水野龍展」の目玉展示が航海日記の実物だったことから、共催となった。
「水野龍が設立したカフェーパウリスタは、百年前に今のスターバックスと同じようなことをやっていたという、すごいコーヒー店チェーンかもしれません」――若林あかねさん(映像作家、55)=兵庫県芦屋市在住=は「カフェーパウリスタに魅せられて」をテーマに講演し、そのように水野龍の足跡を高く評価した。スターバックスは1971年に米国に創立した世界規模のコーヒーチェーン店のこと。
水野龍が社長となって1910年2月に日本に創業した「カフェーパウリスタ」は東京、大阪、横浜、名古屋、福岡、仙台から上海まで30数店舗も展開し、明治後期から大正、昭和初期にかけてコーヒー文化を日本に植え付けた重要なチェーン店網だったという。
若林さんは元々、神戸の日伯協会が2008年に移民百周年展示を企画した際、映像を依頼され、そこから関わりが始まった。
2000年頃、兵庫県との境にある大阪府箕面市の職員が、昔の絵葉書にカフェーパウリスタの文字を見つけた。新聞検索した結果、それが最初の店舗だったことが判明したことから「すっかり虜になった」という。その記録を残し、各地で講演や展覧会を開催してきた。
1号店の場所は「箕面有馬電気軌道」の箕面(みのお)駅前で、明治44(1911)年6月25日に開店していた。それまでは同年12月12日開店の東京・銀座店が第1号と見られていたが、半年も早く関西に開店していた。ただし、1年余りで閉店したという。
箕面有馬電気軌道は現在の阪急電鉄の前身。1907年に設立され、1910年3月に梅田駅―宝塚駅間と石橋駅―箕面駅間を同時開業させた。その際、終着駅である箕面駅に汽車が方向を変える回転軌道とロータリー広場が作られ、その周辺に動物園などの遊園地的な集客施設が建設された。その一角に、おしゃれな洋館としてカフェーパウリスタが作られていた。
若林さんは「阪急電鉄の創業者・小林一三(いちぞう)は、水野と同じ慶応大学出身なので、そこで知り合ったのでは」と推測した。(つづく、深沢正雪記者)
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本紙編集の『日本文化』第4巻でも水野龍の生涯を特集しているが、若林さんが調査している「日本での水野の貢献」という部分は日本移民史には抜け落ちており、実に新鮮な視点だ。若林さんは「ときどきカフェーパウリスタが『日本最初の喫茶店』のような記述を見ますが、それは間違い。明治15(1882)年に神戸元町にできた放香堂が最初です」と指摘した。最初ではなくとも、当時30数店もチェーン店が作られたのであれば、当時としては十分に立派なものといえそうだ。