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道のない道=村上尚子=(77)

 さっそく日系の新聞に広告を出すと、初めは一日に一人来たり、来なかったりであった。しかし、この始めて来る客こそ、私がこれから食べて行けるかどうか、勝負がかかっている。その客が次にも来てくれるかどうかは、このたった一回目の私の仕事ぶりにかかっているのだ。ちょうど、ポウパンサ(預金)のように、これから自分の客というのを一人、一人貯めて行かなければならない。

 その内、二つの問題が出てきた。一つは、客が時間通りに来てくれないことである。ここは待合室がないのだから、これには困った。その対策として、遅れて来る客には、訳を言って、次の客が来るまでの時間しかしない。その代わり、その客へのマッサージが十分でも足りないときは、料金を取らないようにした。又、早く到着する人のためにも、こちらが前後、三十分づつ空けて置くことにした。この方法は、みんな慣れてくれて、落ち着いた。
 ところが、もう一つが、私にとって深刻となった。それは右手の親指が、腫れ上がってしまったことだ。若い頃から、この仕事で鍛えているわけではないので、指が悲鳴を上げ始めた。この指のために、もしこの仕事が出来なくなっても、生活の方は、当座二年くらいは、食べて行けるくらいの金を父が残してくれている。

 話がそれるが、生前父が、一度だけ「寿司を食いに連れて行くぞ!」と、私たちへ、さも楽しそうに言ったことがある。父は、日頃はすごい倹約家でケチではあったが、例えば、弟の仕事への援助をするときは、ポン! と金を出した。又、めったに約束はしない人であったが、約束は必ず守った。ということで、父の「寿司」の話は、娘の琴子と楽しみにしていた。しかし、とうとう彼は約束を守らなかったのである。その父が「寿司」を食べきらずに、金を惜しんで、私へ残してくれて逝ったのだ。そんな金を、どうして簡単に食いつぶすことが出来ようか……

 何とかこの指の件を克服したい。祈るような気持ちで、毎日痛みと戦った。客は少しづつ増えていって、これなら食べて行ける、と思えるくらいにはなってきた。
 ところが、そのうち指だけではなく、今度は体中が痛い。特に足があがらなくなった。無理に体をこねて、不自然な姿勢での仕事、太ももの付け根に激痛が走るようになった。この時の私は、あまりにも指が痛いものだから、うつ伏せに寝かせている客の足を揉むときは、その上に私の足を乗せて、軽く踏むようにして揉んだ。指のほうの助けにはなったが、太ももの付け根の痛みで足が上がらなくなった。一センチも上げられない。ふと思いついて、ズボンを掴んで足を引き上げてみた。出来た! 上がってしまえば、作業は出来る。客には見えない姿だから助かった。この私の問題を専門家へと、チラッ!と考えたが、止めた。
 半年くらいした頃から、指の痛みが治ったり、再び痛んだりしながらも、ある時期からかなり良くなってきた。それと同時に、太ももの付け根が治った。お得意さんも出来てきた。よくしたもので、男性と女性が半々くらい。平均年齢は七十歳くらいである。体調の悪いのは、男より女の方である。女性は、いよいよ悪くなるまで、我慢する人が多い。なので、マッサージは難しくなる。その点、男はちょっと疲れるとやって来る人が殆どである。