パウリスタ新聞の元編集長の田中光義さんが1日午前10時、心筋梗塞のため市内のサンパウロ病院で亡くなった。享年86。
1930年に長野県松本市で生まれた田中さんは1844年、海軍飛行予科練習生となり、航空隊の戦闘機の整備場で働いた。終戦後は諏訪市の南信日々新聞(現長野日報)に入社、また神奈川県横浜市で毎日新聞社にも務めた。
先に移住していた姉に呼ばれて渡伯。1957年にパウリスタ新聞社に入社し、1969年から編集長を務め、規律の乱れを正すなど全盛期の紙面を作り、80年に退社した。
その後、TUNIBRA旅行会社に入社し、1995年にパウリスタ新聞に戻った。1998年の合併後もニッケイ新聞で編集委員を続け2003年末に退社した。
告別式と葬儀は2日にサンパウロ市西部のヴィラ・ソニア区のゲッセマニ墓地で行われた。初七日法要は遺族のみで執り行う。四十九日法要は未定。