初めは、彼にも私のポルトガル語が分からなかったのだと思える。しかし、段々私式のポルトガル語が理解出来るようになったのであろう。人間、どんな難しい問題でも、訓練と慣れとで、解決して行くものである。このへんな才能を持った生徒が、私が一言喋るその度に、ポルトガル語で皆に通訳している。
それを全員、真面目に聞いている……まるでカイロプラスチックの授業のように、聞き耳を立てている。通訳している青年は、普段、大人しい無口なほうである。それが私が喋り始めると、彼にとってそれが使命であるかのように、ぼそぼそした声で私に付き添う。
日曜日になると、二人の女子生徒が、私のアパートへやって来た。先生の授業で解らなかったところを、私に教えるためである。毎週ではないにしても、たまの日曜日くらい休みたいだろうに…… この二人が交代で来てくれることで、私は助かった。もしかしたら、先生からの指示かも知れない。
授業は二年で終わった。このとき最後まで残ったのは、私を入れて生徒は五名だけだったー
いよいよ本番となった。
自信が無いので、表面はやはりそのままマッサージ師で通した。以前、人から聞いたことを思い出す……整体(目的はカイロプラスチックと同じ)をやっている先生の話だ。彼は授業の初日に生徒へ話した。
「オレは、ここまで来るのに、何べん夜逃げしようと思ったかわからん」と。
こちらは、もっと優しい手法だが、やはりカイロプラスチックでも同じことが言える。とはいっても、失敗すれば正しい関節の位置へ戻しさえすれば治る。でもそれまでの苦しみが尋常ではないのだ。
『私は怖い!』ただ同じマッサージでも、カイロプラスチックの基本を知っているので、マッサージの効果が違うのが、私に分かってきた。
その内、段々カイロプラスチックを使うようになってきたが、表向きはマッサージで通した。客はマッサージを受けていると思い込んでいる。それほどこの技術はソフトなのだ。効果が出て来て、その分、人気が出てくるのはいいが、反面、ただのマッサージで治らなかった人たちが、私の噂を聞いてやって来るようになった。しかし自信のないことには手を出さなかった。
ところがある日、大変な状態の人がやって来た。藁をも掴む気持ちで、ここに来たのだろう。長いこと苦しんできたことは、一目で分かる。もしこの人を治療出来たら、どんなにいいか……やってみた! 出来た! やがて、こうして一人、また一人と難しい客ばかり来るようになった。
私の仕事は、緊張の連続である。看板が、マッサージ師なので勿論、マッサージはきちんとした。
たまに、あまりにも哀れな状態の患者がやって来て、運よく治った時など、私はその人が室を出て、エレベーターの方へ消えるのを待つ。それを見届けると、大急ぎで室の中の冷たい床にひざまずき、何者かも判らないものに向かって、天を仰ぐ……感動が胸いっぱいに広がって、「ううっ!」と小声で泣く。それから堪らなくなり、
「オーイ、オーイ」と隣に気を遣いながら体で泣く。