ゴムの樹
アナホーザにある碁会所のそばには、ゴムの大樹がある。
四十年も前には、痩せた貧弱な木であった。建物の陰、しかもセメントの歩道の端で、この木はなんとか生きていた。
人間ならこの環境を逃げ出すことができる。が、この木は耐えた。
そして、動けない木の根は、下へ下へと伸びていって逞しくなり、ついには固いセメントをひび割れさせて、歩道を盛り上げている。
見上げるような幹の、高い所からも、腕のような太い根を数十本もぶらさげて、それらも又、地面に届くと、下へ下へともぐり込んでいっている。
この樹が、いまでは小鳥たちに巣を作らせ、虫たちもそこで生活している。
枝は、あの油を塗ったような光る葉を重たいほどつけている。
それが碁会所と、隣の老人ホームへの厳しい日差しをかばうように広がって、陰を作っている。
このゴムの樹は、碁会所の門を毎日出入りする会員の、ひとりひとりを見守っている。
ある日、杖をついた男が、門を入って行った。見るからに痛々しい歩き方だ。
事故に遭ったとのことである。七十歳くらいか。
じーっと見下ろしていたゴムの樹は、《大分歩けるようになったな》と呟く。
又、ある日、痩せ型の中年の男が門から出てきた。彼は、身の置き場もないほど肩を落としている。
《決勝戦で負けてしまったか・・・次の試合は、きっと勝つ》と、樹は励ます。
ひろ子の件を含めて、身辺が落ち着いたので、私も久しぶりに碁会所に向かった。
日本へ一時落ち延びていたことも、もちろんゴムの樹は知っている。
あの頃のサンパウロは、私にとって地獄であった。
それが今は、私の心を慰めてくれるところに変わっている。
『年を取ってからの友人は出来にくい』と聞いている。
が、そうではなかった。
このサンパウロに、たくさんの男女の仲間が出来た。
そのひとりは、嘘つきであったり、もうひとりは、ちょっと気に入らないと『プッ!』とふくれたりする。
そしてあるひとりは、昼どき急に私のアパートへやって来て、私の分を半分平らげる。
やがて、「行ってきまぁーす!」と言って出て行く。
けれども雨が降ったら《ソッ》と、傘をさしかけてくれる人たちでもある。
門を入ろうとすると、樹は話しかけてきた。
《やっと『目がふたつ』出来たなあ・・・》
完
☆「目がふたつ」とは碁のルール。その石は殺されないで、最小限度生きて行ける形。