「上塚周平の墓守」とも呼ばれる一族の長老、安永忠邦さん(95、二世)。「移民の父」上塚周平翁の晩年を実際に知る、今ではごく僅かな生き字引の一人だ。
「よくぞ来て下さいました」―。突然の訪問にも関らず、しっかりと手を握り、記者を温かく迎え入れた。
客間に通されると、まず目に飛び込んで来たのは、昭和天皇皇后両陛下、今上天皇皇后両陛下の御真影だ。戦時中、敵性国民として弾圧されるなか、こっそりと夜学で日語を教えていたという忠邦さん。その隣には、日語教育における長年の功績を称え、単光旭日章が飾られている。
教育勅語や四大節の歌を子供たちに大切に伝え続ける。1914年に3人から始まった安永家は、現在は400人以上を越えた。
「一隅を照らす、これ則ち国宝なり」―。日本の心を受継いだ子供達は、全伯各地へ巣立ち、各地の日系団体を支える活躍ぶりだ。
忠邦さんは、農園で珈琲の手入れをしながら余生を過ごすが、日課として続けているのが教育勅語の書き写しだ。
80歳を迎えたとき、何かを始めたいと思い立ち、「毎日とはいきませんが、これまでで3552回を数えます」という。「この心に近づきたい」―。そんな思いで筆をとる姿に心が洗われるようだ。
上塚周平翁の墓を守り、日本の心を大切に今に伝える忠邦さん。初めて訪日したのは、30年以上前のことだ。日語教師の研修で訪日したが、東宮御所に招待され、当時の皇太子同妃両殿下に謁見したという。
「皇太子殿下が『お父さんは日本へおいでになられましたか?』とお尋ねになり、思いがけないことに驚きました」と昨日のことのように語る。なんとその1年前、忠邦さんの父は、ブラジルへ渡って以来、初めて母国の地を踏んでいたという。だが「母は可哀想だった。過酷な生活を耐え偲び、帰郷の夢をついには果たせなかった」としみじみと語る。
「皇族の方にぜひとも、上塚周平先生の作られた植民地をご覧頂きたい」―。日本移民による開拓の上に、発展した現在のプロミッソン。
志半ばで斃れた移民、帰郷の夢を果たせずにブラジルの大地に眠る人は数知れず。皇室の方がこの地を訪れ、祈りを捧げてくだされば、どれほどの先人が報われることか―。(つづく、大澤航平記者)