プロミッソンを後にして向かった先は、南におよそ90キロの場所にあるマリリア。パウリスタ延長線の中核都市として栄え、人口約20万人を抱える。同沿線最大と言われる『ジャパン・フェスタ』を開催する活力がある日系社会をもつ。
同市は市政施行3年前の1926年に、ノロエステ沿線から日本人移民の入植が始まった。珈琲や綿花栽培で発展し、最盛期には約2800世帯の日系人が暮らしたが、現在は6千人ほどだ。
市内中心部を巡ると、ことの外、日系商店が目につき、工場地帯では、窓周り製品を製造・販売する、有名な『SASAZAKI』の工場が際立つ。日系人が経営する企業で、長年に渡り日系社会を支える存在だ。
市役所前には、三笠宮同妃両殿下をお迎えし、移民50周年祭を記念して落成した庭園が今なお跡を残し、記念碑には殿下の足跡が刻まれる。
だが、植樹されたイペーの木は「残念ながら数年前に枯れてしまった」といい、半世紀の歳月を物語っている。
当時のパウリスタ新聞によれば、1958年6月22日午前10時40分、空港に降り立った三笠宮殿下両夫妻は日伯両国旗を持った約4千人から歓迎を受けた後、建設中の市役所前広場を訪問。特設会場で約1万人の歓迎を受け、マリリア名誉市民の称号が授与されたと伝えている。
マリリア文協はいま、毎年4月に開催される市政開始を祝った『ジャパン・フェスタ』に向け、準備に追われる真っ最中だ。市内最大のイベントとして州の公式行事に認定されている。
500人以上のボランティアで運営され4日間に渡って行われる同祭は、毎年7万人の集客を誇るほどだ。
110周年式典を同地で開催すれば、パウリスタ地方から集まるであろう若い日系社会の今の姿を皇室の方に見て頂けるにちがいない。(つづく、大澤航平記者)
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