「サクソフォンが命を救った」=戦地派遣を免れた音楽家の証

第2次世界大戦中は、ブラジルからもヨーロッパに兵士が送られたが、サクソフォンのおかげで前線派遣を免れた音楽家がいる。サンパウロ州海岸部イタニャエン市に住むアミンタス・ジョゼ・ダ・コスタ氏(98)がその人だ。
「小さい頃は町の中にいくつもの楽団があり、たくさんの音楽家が様々な楽器を演奏していた。僕達も楽団の後を追いかけ、楽器に触りたがったものさ」というコスタ氏は。1919年に北東部セルジッペ州アラカジュ市で生まれた。
14歳の時、当時陸軍第1軍曹だったジョゼ・ヴィアナ氏の指導を受け始め、最初はクラリネット、その後にサクソフォンを習った。
音楽家になりたくて、1937年にリオデジャネイロ市に移ったコスタ氏は、軍に入り、対空砲隊に所属する傍ら、公的治安部隊音楽班第2軍曹にもなった。
1940年から43年はリオ市の国立音楽学校で聴講し、クラリネットの演奏に磨きをかけた。コスタ氏は当時を振り返り、「初等教育も終えていなかったから、正規の学生にはなれなかったけど、一緒に講義を受けた仲間と同じテクニックを身に着けたよ」と語っている。
第2次大戦に参戦する部隊の一員として召集されたのは1943年だ。200人の仲間と船で1週間かけてレシフェまで行ったコスタ氏は、そこで訓練を受け、大砲の扱い方も学ぶはずだった。
だが、コスタ氏がサクソフォンを持っているのを見た上官が、本当に吹けるのかと質問してきたので演奏したところ、新人達に軍歌を教えるよう命じられ、軍歌の載っている本も渡された。
レシフェにはコスタ氏の他に楽器を演奏できる兵士がいなかったため、軍歌と共に、コルネットの吹き方も教えた。コスタ氏自身は戦場に行き、戦う事を望んでいたが、音楽が出来るという理由で上官が常に引きとめたため、司令官の息子という噂もたったという。
そうこうしている内に終戦となり、コスタ氏も軍役を退いて、音楽活動に専念するようになったが、第2次世界大戦中に戦死したブラジル人兵士は454人に上り、音楽を知らなかったら、コスタ氏も戦場で命を落としていた可能性が高い。
終戦後は、ラジオ番組の始まりや音楽が入る部分の生演奏など、無数の番組で演奏した。
テレビ放送開始後は、シウヴィオ・サント氏のオーケストラに参加し、SBTが最初に放送したシウヴィオ氏の番組はもちろん、グローボ局のシャクリーナにも出た。
現在は一線を退き、30年前からイタニャエン市に住んでいる。市立の音楽学校で教える傍ら、自宅に音楽教室を開設。「僕が音楽ゆえに得たのと同様のチャンスを、他の人にも得てもらいたいんだ」と語る顔に曇りはない。(21日付エスタード紙などより)