私が日系社会青年ボランティアとしてサンパウロに滞在したのは2001年から2003年、今から15年前のことです。改めて数えてみて、あれからもう15年という時間が経過したことに自分で驚きを感じるほど、時の流れは早いものです。
青年ボランティアは私にとって、2度目のブラジルでの生活体験でした。それ以前に社団法人日本ブラジル交流協会(当時)の研修生として約1年をサンパウロで過ごし、再びブラジルに戻りたい、という思いから応募したのが青年ボランティアでした。
当時を振り返って、ブラジルでの思い出も山ほどありますが、真っ先に思い出されるのは根岸での事前研修です。根岸の研修所は4人がひと部屋に1か月滞在するということで、最初は戸惑いもありました。
ですが、「このような体験は今後二度とないだろう」と思っていましたし、実際にこれまでのところ、あの研修に匹敵する経験は以後一度もありません。
私は現在、サンパウロ大学の大学院で学んでいますが、同部屋になって以来の友人もまた、同じ時期に日本で大学院に入学した。当時の部屋では一番怠けていた2人(ほかの2人は消灯後も毎晩自習していました)が、今になって自ら学業に足を踏み入れたことを笑いながらも、互いに励ましあっているところです。
ボランティア当時の派遣先での業務は苦労もありました。仕事の9割は日本語でしたが、残りの1割は相応のレベルのポルトガル語が必要だったからです。電話に出て、必死で応対しようとするものの、先方から「ポルトガル語のわかる人に代わってください」と言われたこともありました。
周囲の方々の援護でなんとか業務をこなし、日本に戻った翌年からは日系社会ボランティアの事前研修でポルトガル語の講師をさせていただきました。
日系人の先生方に混じって教えることに最初は大きなプレッシャーもありました。ですが、事前研修で初めてポルトガル語を学習するボランティアの皆さんにとっての語学習得の困難は、すべて私自身が経験したことでもあり、ポルトガル語学習について考えるとても素晴らしい経験をさせていただきました。
講師の傍ら、通訳や翻訳のお仕事をしながら約10年間、毎年軽やかに旅立っていくボランティアの方々を半ばうらやましく思いながら見送ってきました。ようやく昨年、今度は自分のポルトガル語学習のためにこちらに戻ってきました。
大学院ではディベートに長けたブラジル人の学生に囲まれ、力不足を痛感させられますが、同時にポルトガル語の奥深さ、面白さを改めて発見する毎日です。
(連載おしまい)
安東 直子(あんどう・なおこ)
【略歴】東京都出身。46歳。日系社会青年ボランティア(研修監理)16期として日本ブラジル交流協会へ2001年2月から2003年2月まで派遣された。現在は在ブラジル、サンパウロ州立総合大学の大学院生。