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《ブラジル》〝マスコミの犯罪〟Eバーゼ冤罪事件

 サンパウロ市で90年代前半からジャーナリストをしていた者にとって、気が重い本が出版される。『Escola Base』(Emílio Coutinho, Editora Casa Flutuante)だ。著者コウチンニョさん(31)が来社した機会に、久々に23年前、1994年3月に起きたあの冤罪事件を思い出した▼エスコーラ・バーゼはリベルダーデ区の隣、アクリマソンにあった私立幼稚園だ。経営者パウラ・ミリャン・アウヴァレンガさんの夫が日系人の島田イクシロウさんだった。4歳の園児の母親が「子供が性的虐待を受けた」と警察に届けたことから、マスコミが報道合戦を繰り広げ、根も葉もない犯罪者像を作り上げてしまった▼日系人が関わったとされる事件だけに邦字紙も報道合戦に巻き込まれ、コラム子も自称「被害者」を取材に行ったことを苦々しい経験として覚えている。現場には、興味津々の付近住民を含めて狂乱的な雰囲気があった。ところが後にそれが完全な冤罪であったことが分かり、取材に関わった者すべてが顔面蒼白になった▼グローボ、SBT、Record、バンデイランテスなどTV局やラジオ、フォーリャ紙、エスタード紙、タルデ紙、ノチシアス・ポプラーレス紙などの新聞、イストエやヴェージャなどの雑誌がそろって連日大々的に報道したおかげで、同幼稚園は閉鎖に追い込まれ、島田家は取り返しようもない汚名を着せられた。翌95年から島田家は汚名を雪ぐために法廷闘争に入り、前述メディアを片っ端から訴えた。2005年にはグローボだけで135万レアルの賠償金支払いが命ぜられた▼今回コウチンニョさんから「誰が加害者だったか」との話を興味深く聞いた。被害届を最初に受けつけた捜査官が自分の手柄として報道させようと、まずジアリオ・ポプラル紙(DP)記者を呼んだ。でも「怪しいネタ」として受付けず、記事にしなかった。次にグローボTV記者を呼んだら飛びつき、その日の晩にニュースが流され、そこから報道合戦の火蓋が切られたのだと知った▼結局DP紙は最後まで報道せず、「ジャーナリズムの良心」を示した。最も酷かったのが、大衆向けスキャンダル新聞のノチシアス・ポプラーレス紙だった。思えば、普段から殺人事件の死体写真を1面に大々的に掲げる新聞だった▼サンパウロ市の地方紙として良質なニュースを出していたDPは、その数年後に消滅してしまった。いかんせん地味だった。エスタード紙やフォーリャ紙など大手紙の草刈り場のようなサンパウロ市で、あの堅実な報道がジリ貧になるのはムリもない▼コウチンニョさんは島田家親族、自称「被害者」、幼稚園の近隣住民から証言をえようと「靴をすり減らして歩き、何十回も電話をして説得し、連絡を待ちながら数知れずカフェを飲んだ」という。ジャーナリストの鑑だ。「みな口が重く、しゃべりたがらなかった」とか。今も社会的なトラウマのままだ▼二度と冤罪報道をしない教訓を汲み上げようと、彼は6カ月に渡って取材を試み、10人から話を聞き出して本にした。その刊行記念サイン会が4日午後6時半から書店(Livraria Martins Fontes, Av. Paulista, 509、メトロのブリガデイロ駅すぐ上)で行われる▼「イクシロウさんはセー広場近くでコピー屋を続け、死ぬまでマスコミを恨み続け、2013年に心筋梗塞で亡くなった」という。「今でも同じことは起こり得る」というコウチンニョさんの言葉はとても重かった。(深)