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ベネズエラ人の難民申請急増=既に昨年の総数の倍を超す

 深刻な経済危機や種々の抑圧、暴力行為の増加などを受け、国外に逃れようとするベネズエラ人が増えており、ブラジルでの難民申請数も急激に伸びている。

 ベネズエラ人が好むのはパナマ、エクアドル、チリとされるが、ブラジルも希望国の一つである事は、5月2日までの難民申請数が8231件に上る事からも窺われる。

 この数はもう、昨年の年間申請数の3375件の倍以上だ。特に、同国の政情が不安定になった3月末以降は5436件という数字は、状況の深刻さを物語る。

 同国では3月末に最高裁が議員の不逮捕特権や議会の立法権を剥奪。1日にはマドゥーロ大統領が制憲議会開設も宣言して、独裁化傾向が強まった。3月31日以降は反体制派の抗議行動が頻発し、鎮圧のために、軍や警察だけでなく、ミリシアと呼ばれる民間警備隊にも武器を持たせた事などで、4日までの死者は35人、負傷者も700人を超えた。

 難民申請は、ブラジルに来た外国人が合法的に滞在するための最速かつ安全な方法だ。申請者の大半は、食料や医薬品さえ不足する現状や、暴力や政治的な抑圧から逃れようとするベネズエラ人で、大半はロライマ州ボア・ヴィスタ市で難民申請を行っている。

 国境を越えて同州に着いたベネズエラ人の一部は、アマゾナス州やサンパウロ州にも来ており、サンパウロ市グリセリオ区の難民保護団体「ミッソン・パス」の施設にも同国人が11人いる。この数はハイチ人などより少ないが、わずか3カ月で10人以上が施設に来た例は初めてだという。

 大学教授を退任した歴史教師で、半年前にコロンビアとの国境に近いサンタバルバラ・デ・ズリア市から来たエジソン・イハン氏(48)は、妻や子供、孫を母国に置いて来た。母国では毎月、最低賃金の20万ボリバルを受け取っていたが、基礎食料品セットは68万ボリバルかかり、食に窮していた。

 昨年のインフレは年800%で、賃金の目減りは著しい。イハン氏が住んでいた地域でも国外脱出を試みる人が多いが、国境越えは、ゲリラや政府側警備隊員らから様々な形で金を徴収されたりする可能性があり、強盗に遭う危険性も高い。

 メディアは政府が許可した内容しか流さず、国際機関に届く諸指数も不完全というのは、現副大統領がアラグア州の知事だった時、同州での汚職に気づいて政治的な迫害を受け始め、電撃誘拐や脅迫も体験したため、年の始めにブラジルに来たジャーナリストのカルロス・エスカローナ氏(33)だ。同氏の家族は別の国で暮らしている。

 サンパウロ市在住8カ月のウィルメル・カファニャ氏は、ボア・ヴィスタからマナウス、ベレン、フォルタレーザを経てサンパウロに来た。行く先々で働き、もらった金で次の町に移動、バスを乗り継いでサンパウロに着いたのは6カ月後だが、現在は難民認定も受け、職も見つけため、月500レアルを妻や娘に送っている。カファニャ氏は母国が安定した状態に戻るのはまだ先と見ており、家族を呼び寄せ、勉強して技師になる事を望んでいる。(4日付G1サイトより)