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特撮アニメ文化の伝道師、江頭さん=日本のTVヒーロー伝える=ブ漫画協会が講演会を開催

Abrademi佐藤会長(左から2番目)、講演会に出演した江頭さん(左から3番目)とヒーローら(提供/Abrademi)

Abrademi佐藤会長(左から2番目)、講演会に出演した江頭さん(左から3番目)とヒーローら(提供/Abrademi)

 ブラジル漫画協会(Abrademi、佐藤フランシスコ紀行会長)が先月30日午後、江頭俊彦さん(60、佐賀県)の講演会『ブラジルで日本のテレビヒーロー』をサンパウロ市の三重県人会館で行った。江頭さんは「ジャスピオン」や「チェンジマン」などの日本のTVヒーロー番組やアニメの配給会社を設立し、当地で流行らせた「特撮アニメ文化の伝道師」だ。講演では、渡伯からTVヒーロー番組放送の経緯について語り、会場に集まった約110人のファンらは熱心に耳を傾けた。

 江頭さんは1958年、2歳で家族に連れられ、サンパウロ州モジ・ダス・クルーゼス市に移った。同市で大学の経営学を1980年に卒業し、佐賀県人会の県費留学生として訪日。留学終了後は、日本で家電量販店「ベスト電器」で研修生として一年働いた。
 江頭さんは研修中、ビデオデッキの販売から配達、取り付けまでを行った。1982年に日本のテレビ番組を録画した18本のビデオを持ち帰った。江頭さんは当時、会社を開けるための資金としてビデオ販売を考えていたが、友人に相談した際「レンタルの方が儲かる」とグロリア街にレンタルビデオ店「ゴールデン・フォックス・ビデオ」を開けた。
 日本のTVヒーローシリーズを借りに来るブラジル人の子どもたちを見て、「他のレンタルビデオ店にも卸したらさらに人気になるのでは」と思いついた。江頭さんは1988年頃、東映株式会社と著作権契約を結び他店舗へのTVヒーローのビデオを卸し始めた。
 予想通り人気の商品となり、「テレビにも流そう」と思い立ち、さっそく当時のマンシェッテTV局と契約を結びヒーローシリーズの放送を始めた。TVヒーロー番組の配給会社エベレスト・ビデオを設立。おもちゃの販売やヒーローショーもはじめ、番組放送開始から3カ月後にはサーカス団をつくりヒーローショーを行った。「ミナス州で開催したヒーローショーでは1万4千人が集まった」という。
 人気を博した日本のヒーロー番組だが、ブラジル内のビデオレンタル業界の落ち込みにより90年にビデオ店、92年にエベレスト社の玩具事業を売却し、チカラ・フィルム社としてヒーロー番組の配給を続けた。
 マンシェッテTV局買収が決定され、98年にチカラ社を閉業。江頭さんは「当時は料理番組やドラマばかり人気で、子ども番組の枠は取ってもらえなかった。いまだに当時のファンからは『なぜやめたのか』と問われる」と語った。
 江頭さんは「こうして集まってくれたファンを見て驚いた。とても嬉しい」と会場を見て微笑んだ。江頭さんの話に熱心に耳を傾けていたのは、ほとんどが30~40代のブラジル人だ。
 講演後の質疑応答ではファンからの質問が尽きなかった。その後も写真撮影を求めるファンが列を作った。日系歌手の宮原ジオゴさんによる歴代ヒーロー曲の歌謡ショーが行われ、コスプレしたヒーローの特別出演でさらに盛り上がった。
 午前中には同漫画協会が主催する「日本の歴史」コース第2回が同県人会館で行われた。238人が集まり、飛鳥/奈良時代を中心にした3時間の授業を熱心に聞いていた。


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 『ブラジルで日本のテレビヒーロー』講演会後、江頭さんは参加したほとんどの人から「僕らの子供時代にヒーローがいたおかげでとても楽しかった」と感謝の声を掛けられたそう。ヒーローファンにとっては、昔の思い出を懐かしむ場所にもなったようだ。会場には小学生らしきファンの姿も。現在では有線テレビ局しか特撮ヒーロー番組を放送していないそうだが、地上波でも放送が続いていれば、子どもたちから不動の人気を確立していたかも。熱心なファンの姿を見て、放送終了が惜しまれた。