【ミナス州ベロ・オリゾンテ発】昨年のリオ五輪では、知花チャールズやキタダイ・フェリペという日系柔道家が、地元の大声援を背に勇敢に戦った。だが日本と強いつながりを持つのは、彼らだけではない。サンパウロ州沿岸部ペルイベ出身のマリアナ・シルバさん(27)は、実は非日系ながら高校1年生から5年間、日本で武者修行した経歴を持つ。女子63キロ級で出場したリオ五輪ではメダルを目前に惜しくも敗れ去った。その悔しさを糧に「もう一つの母国」と言う日本での五輪で雪辱を誓う。
キタダイ、知花両選手がリオで悔し涙を浮かべた後、非日系のマリアナさんも日本からのエールを背負って畳に上がっていた。15歳のころ、武者修行にと留学した岡山学芸館高校や、帝京大学(東京)の仲間からの声援だった。「文化、生活習慣、言葉も何も分からずに行った」日本だが全ての経験が、かけがえのない財産として今でも彼女の中で生きている。
「五輪に出る。メダルを取る」と決めた日本留学。競技を始めた頃から表彰台にあこがれを抱いていた。体育を通じた青少年への国家事業「プロジェット・ソシアル」で柔道を始めた兄が、何度も大会でメダルを獲得していたという。
「兄が表彰台に上がってメダルを持ち帰る姿を見て、私もメダルが欲しい!って思った」というのが柔道を始めたきっかけだ。日本行きは2005年。サンパウロ市ジャバクアラに道場を構える小川武道館による勧めで、彼女や日系人を含む3人で、岡山学芸館高校に入学することになった。館長と同校の校長が知人だった縁で実現したという。
最初は日本行きの打診に驚き、不安だった。でも兄に相談したら「オリンピックに出たいなら日本に行くべきだよ。このチャンスを逃しちゃいけないよ」との返答を聞き、覚悟を決めた。
入学初日は緊張と期待が入り混じる。「心配もあったけど、『ここから五輪を目指すぞ』って気持ちも強かった」。初めの1カ月だけは関係者が通訳として帯同してくれた。通常授業は英語と数学だけを一般クラスで受け、肝心の日本語学習は外国人留学生への特別クラスで少しずつ学んだ。もちろん自主的に個人でも取り組み、多いときは1日6時間も勉強した。おかげで今でも日常会話は問題ない。
日本での思い出は楽しいことばかりだ。クラス対抗の合唱コンクールで優勝したこと、運動会で仲間と汗を流したこと。どれも良き青春時代として彼女の胸に刻まれている。柔道部での稽古は1日3時間ほど。指導に立ったのは小林貴子さん。92年バルセロナ五輪代表の彼女が教諭として在籍していたという。
「1年生の時は『もっと集中しなさい』ってよく怒られた。でも進学するにつれ、怒られることも少なくなった」という。それは技術が向上したからではなく、「きっと外国人だったからかな。初めから日本式の指導はこうなんだって植えつけたかったんだと思う」。初年度はひたすら打ち込みばかり。日本の指導らしく、基礎をみっちり叩き込まれた。(つづく、小倉祐貴記者)