日本ではひたすら基礎練習の繰り返し。その成果がいきなり実ったのか、全国の高校1年生が出場する新人戦県大会で優勝を果たす。その後も中国地方で上位進出の常連になった。2年生になった06年にはインターハイで全国3位にもなった。日本でめきめきと頭角を現し、高校卒業後に帝京大学に進学。日本を拠点にしながら、09年パリでの世界ジュニア大会に挑んだ。
後に五輪メダリストとなるサラー・メネゼス選手や、マイラ・アギラル選手が表彰台に登る活躍を見せる中、マリアナさんも見事、銅メダルに輝く。母国ブラジルの代表候補にも名を連ねるように。「世界3位」の肩書を引っ提げ、10年に帰伯を決めた。
当時はロンドン五輪を2年後に控える。当然、照準はそこだ。拠点に選んだのはミナス州ベロ・オリゾンテ。知花チャールズ選手が所属するピニェイロス(サンパウロ市)、キタダイ・フェリペ選手らがいるSOGIPA(南大河州)など有数クラブから声がかかったが、条件が良かったミナス・テニス・クラブを選んだ。
施設の充実ぶりは目を見張らんばかり。バレー、体操、競泳とあらゆる競技が楽しめ、選手強化を進める。立地も州都の中心地と抜群だ。柔道は400人ほどが在籍。リオ五輪代表のアレックス・ポンボなど、東京五輪を目指す猛者も複数いる。マリアナさんは時に朝、昼、晩の3部練習をこなし、1日4、5時間を稽古に割く。
帰国後に臨んだ11年の汎米大会(メキシコ・グアダラハラ)で、銀メダルに輝いた。これで五輪代表の座をぐっと引き寄せた。見事ロンドンで代表を当確させ、初めて五輪に出場することに。しかし初戦で中国の徐麗麗(ジョ・レイレイ)選手に敗戦。後に銅メダルを獲得した強敵との闘いに敗れ、苦い思いを味わうことになった。
そして4年後、地元リオでの祭典にも選ばれ雪辱を胸に臨んだ。「緊張よりも勇気をもって試合に臨めた。たくさんの声援があったから」。南米大陸初の五輪は確かに彼女を後押しした。でもメダルには届かなかった。準決勝で負け、決勝進出を逃した。敗者復活でも敗れ、あと一つ勝てばメダルというところでまたしても涙した。
「全てを出し切った…。でも負けた。ビデオを見返したけど、(技術的に)何が足りなかったか分からない。ただもっと戦略が必要だと思う」。
昨年末に当地の大学を卒業し、より柔道に打ち込める環境が整った。挫折を乗り越え、気持ちを東京五輪に向けて切り替えた。「日本で学んだことは、全て今も私の中で生きている。ホームステイ先の石原さん家族、高校、大学…。心から全てに感謝している。人間としても成長させてもらった」。東京五輪で表彰台に上がれば、これ以上ない恩返しになると思っている。
「私にとっては2つ目の母国。勝って泣きたい」。最後の勝負を挑むのは、思い出の地・日本での3度目の正直といえる五輪だ。もう悔し涙はもういらない――。(終わり、小倉祐貴記者)
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