【本の要旨】
「日本人」という民族を観察するのに、移民をその「試験台」に活用できるのではと常々思っている。
私の前任者・吉田尚則元編集長からは「移民は壮大な民族的実験だ」と聞かされてきたことも影響している。
「日本社会の一部をすくい出して、ヨーロッパ文明を基調とした文化を持つ『ブラジル』という培地に植え付けて、100年がかりで培養する中で、『日本人』という種が、どのように振る舞うのかを経年観察する」という行為が、ブラジル日本人移民史ではないかと思い至った。
「5年で帰れる」と思って日本を離れ、10年、20年経っても帰れない辛さが、日本の日本人に想像できるだろうか。「郷愁」という概念は、セピア色のロマンチックなものではない。集団的精神病のような「帰れるはずの祖国に帰れない落胆のひどさ」が勝ち負け抗争の背景にはあった。
第2次世界大戦の終戦をめぐって、ブラジル日系社会では、日本の敗戦を信じたくなかった「勝ち組(信念派)」と、早々に敗戦を悟った「負け組(認識派)」が血みどろの争いを起こした。
それに関して、日本でもおりおりに新聞報道され、テレビ番組が作られてきたが、多くは「勝ち組」=「テロリスト」、「臣道連盟」=「狂信者」というニュアンスを持っている。
基本的に、勝ち組が一方的に負け組を殺害したかのように描かれている。邦字紙で20年余り記者をする中で、その視点に対し、つねづね疑問をもってきた。
移民の家庭をリアルに想像できれば、日本人と外国人の違いを肌身で感じることができる。移民はエリートではない。「どこにでもいる一般市民が外国生活を始めること」が移住の本質だ。
そのような一般人が、いかに外国でも日本人たろうとしてきたかが、ブラジル日本移民の真骨頂だと思う。
日本人性を最大限に活用して、ゼロから始めて体当たりでブラジル社会に貢献してきた日本移民たちの姿は、今から国際社会に飛び出そうとする日本人の発想に役に立つモノではないか。
評論家の大宅壮一は1954年に取材旅行のために来伯した際、「明治の日本が見たければブラジルにいけ!」との名セリフを残したとコロニア(日系社会)では伝えられている。
移民船が赤道を通過する際に行われる「赤道祭」や運動会は、移住体験に欠かせないイニシェーション(入信儀礼)だった。おなじ儀式を体験したものの同士の心理的な結束は強い。
日本では学校の「同窓会」が一般的だが、移民にとっては「同船者会」という存在が別格だ。同じ船に乗り、同じ不安を抱えてブラジルにやって来たという共通の体験が、あたかもブラジルという外地における「戦友」のような連帯感を生んでいる。
船を降りてサントスに上陸することは、その瞬間に、日本での学歴や家系、経歴を一端断ち切り、人生のすべてを一から再出発させることを意味した。
大筋としてブラジルに馴化、同化していく中で、日本人としての何を子孫に残していくのか。来年、日本移民110周年を迎える日系社会の在りようは、今も全てが大きな「実験」の一部だ。そのハイライトである勝ち負け抗争は、ある意味、まだ終わっていない。その揺り返しの時代が来ているからだ。
子孫や地元ブラジル人らにより、勝ち負け抗争をブラジル近代史の中で、より妥当な形に位置付ける解釈見直しの作業が始まっている。
【メルマガ発行者のコメント】ブラジルへの移民の方々には、想像を絶する困難や努力があったようだ。さまざまな栄光と挫折の歴史を調べて続けていきたい。多くの文献をあたり、生き証人の方々の話を聞いていきたい。それが日本とブラジルをよりよく深く知るための、大きなきっかけとなるに違いない。
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(※深沢氏は、ブラジルの邦字紙「ニッケイ新聞」の編集長)