ブラジル国内では知らない人はいない国民的漫画「トゥルマ・ダ・モニカ」の作者、マウリシオ・デ・ソウザ(81)が自伝を出版し、話題となっている。
「トゥルマ・ダ・モニカ」と言えば、ブラジル国内では40~50年にわたり、子供の間では定番の漫画で、2016年の統計でも、彼は最も売れたブラジル人作家の第2位にランクイン。同作はスペイン語や英語にも訳されており、キャラクター・グッズや遊具施設などのライセンス料の収入も莫大なものだ。
もはやひとつの事業レベルに達している成功した漫画の作者であることもあり、マウリシオの自伝出版は望まれていたものだった。待望の自伝は「ア・ヒストリア・ノン・エスタ・ノ・ジビ」という題で、彼が郷里のサンパウロ州サンタイザベルで過ごした幼少時代から現在までがつづられている。
この自伝は、マウリシオ氏自身がジャーナリストのルイス・コロンビーニ氏に語った内容を本にまとめたものだ。だが、「アーティストというのはね、納得しない生き物なんだ。あと2冊位ないと物足らないね」と、冗談めかしながらも、3部作になることを早くもほのめかしている。
マウリシオは理容師の息子として生まれたが、父親は詩や歌が大好きで、母親もマウリシオに歌手になることを期待するようなタイプの人だったという。「ほかの人たちとちょっと違った家庭環境にあって、芸術心が刺激されたんだ」とマウリシオは振り返る。
マウリシオは10代後半に新聞社にレポーターとして就職したが、そこで絵の才能を認められて漫画家となった。「トゥルマ・ダ・モニカ」を描き始めたのは28歳だった1963年で、以来、今に至る。
彼は、影響を受けた作家を2人あげている。ひとりは「スピリット」などの作品で知られるアメリカの漫画家ウィル・アイズナーだ。「40年代(5歳から14歳)に彼の作品を手に入れ、それを手本にして勉強した。そうやって自分のスタイルを手に入れたんだ。後にアイズナー本人にも会ったときは、『あなたをコピーして漫画家になった』とちゃんと伝えたよ」と語っている。
そしてもうひとりが日本の手塚治虫だ。「漫画の王様だね。彼とは知り合いになって、将来一緒に何かしようとも話していたんだけど、不幸にも(1989年に)亡くなってしまってね」と出会いを振り返っている。
マウリシオには10人の子供と11人の孫、そして3人の曾孫がいる。だが、そんな年齢になって自伝を出しても、それで終わる訳ではなく、更なる意欲も見せている。
彼は先述の手塚の件に関して「実は今、夢を実現させようとしていてね。今年は日本で『モニカ・ジョーヴェン』を出すから、そこでモニカと手塚のキャラクターを共演させるんだ」と、現在のプロジェクトも明らかにしている。
伝記の本当の完結はまだまだ先のようだ。(3日付エスタード紙より)