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わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇=(1)

 まえがき

 数年前、宮城あきらさんから自分史編纂のお勧めがあった。ところが自分にはそんな才能もないし書く自信もないので無理な要求だと聞き流していた。その後しばらくして長男一也から、「パパイは他人のことはよく書いているみたいだが、自分たちの家庭事情は何一つも書いていない」、といった苦情じみた話を聞かされた。家族にそう言われると返す言葉がない。
 彼は、故郷での留学生活の体験からして疑問を感じていたのか知らないが、日本のようなきわめて安全な治安国で優れた文化の国から何故このブラジルに移住したのか、などと苦笑顔で質問をなげかけたりもする。それもそのはず、彼たちには去った沖縄戦のことは全く知らない。
 その終戦から今日に至る70年間、平和で暮らし物量豊かになった現状からすれば当然の発想かも知らない。
 沖縄の地上戦で鉄の暴風による壊滅的戦災や暗闇の自然壕に避難して、九死に一生を得て生きのびてきた当時の戦禍の実態など知るはずもないばかりか、古い時代の沖縄の歴史もほとんど知らないが故の質問であることは明白だ。
 ところでその答えは即座に的確に答えられるものではない。幸いにも先に宮城あきらさんが示唆した自分史ならば、その時代時代の実質的な歩みが記述されるので時代背景がよく伺えるわけで、それによって「参考資料」の役割を果たすことに気付いたのであった。
 従って狭少な生れ島で20余年と満州も含めて60余年の海外移住生活は裸移民ながらも私は88・妻千枝子85歳まで元気に「おしどり米寿」の節目を迎え、親族・知友の小宴でわが人生の歩みを再確認できたのがいささかの気慰めだったかのように思う。この歳まで味気ない人生ではあったが、一族後世に言伝える気持ちで記述した。
 この本、執筆の過程で友愛の助言を頂いた宮城あきらさんご夫妻と、食品店を経営しながら編集活動に献身された大城栄子さんのご協力、そして親族縁者一同の望外の出版費協力によってなんとか出来あがったのが本書であり、深甚なる感謝の意を表したい。
 とにかくドサクサの時代に生まれ幼少の頃から海外を志向し、彷徨(さまよ)い歩いてきた私の人生には記憶違いも随所にあるかと思われるが、その点ご容赦を願いたい。なお本書出版にあたっては色々とご支援頂いたパウロス美術印刷会社長島袋パウロ博文氏ご夫妻他関係者各位のご好意に重ねて厚くお礼を申しあげる次第です。
 世界地図をみれば、針の先程の小さな島沖縄の、更にその南端の一角にある村落・米須部落から、南米大陸の広大なブラジルに移り住んだわが山城家一族。その行く末にとって本書がルーツ探訪の一助となれば、と切望するものであります。(2016年8月吉日)

 第1章  揺 籃

 1 「米須」の由来

 故郷沖縄では「米須」という姓名は全県各地で知られているが、地名での「米須」は糸満市のわが部落の他にほとんど知らない。
 古称「くめす」は、おもろの「御さうし」五首が天啓3年癸亥(1623年)にでてくる。約400年前、既におもろに謡われていることからすれば、それなりに歴史は古いことが想像できる。