ブラジル将棋連盟(吉田国夫会長)主催の『第45回全伯王将戦大会』が先月28日、リベルダーデ区の同連盟会館で開催された。本戦決勝には、14歳の加藤修仁君(東京、当地五段)と84歳の青木幹旺さん(群馬、当地八段)が進出し、年齢差70歳による気迫のこもった真剣勝負を繰り広げた。
「これを最後の大会にすると決めていた」――青木さんはコロニア将棋界全盛の1962年に当地名人位を奪取してから、連盟主催の大会で史上最多47度の優勝経験を持つ歴戦の古強者。
しかし、72歳の時、原因不明の脳出血を止めるため、開頭手術を行ってからは、その指し手から精彩が失われた。後遺症で右顔面に麻痺が残り、右まぶたは閉じたまま自由にならなくった。
左耳も聞こえなくなり、頭には常に靄がかかった様ではっきりとしない。昔は自身の試合の棋譜を初手から投了まで空で覚えることが出来たが、今はもう出来ない。将棋を指す度に自らの衰えを思い知らされ、悲しみが募る心境だという。
午前10時、31人の将棋愛好家が連盟会館に集まった。同大会では当地五段以上の免状保持者が参加可能な本戦と、それ以下の段位者向けの段位戦が行われる。今回の本戦参加者は12人。注目を集めたのは、なんといっても年齢差70歳の対局だった。
加藤君は弱冠14歳で本戦に初出場だ。だが将棋文化の総本山、日本将棋連盟東京将棋会館道場に通い、道場初段の免状を持つ。15年に駐在員子弟として家族で来伯。昨年は連盟主催の大会で四段戦を二度制し、五段に昇格。今大会から本戦への参加が許された。
出場者の中には、14歳2カ月でプロ棋士になり、現在も快進撃を続ける藤井聡太四段と加藤君の姿を重ね合わせ「やっぱり最近の若い子には敵わないよ」と諦めを口にする人もいる。
加藤君は6人ずつに分かれて行われた総当りの予選リーグを3勝2敗で勝ち抜け、8人制決勝トーナメントも勝ち進み、決勝に駒を進めた。
決勝戦は午後4時からで大会開始から6時間が経っていた。予選から7試合を終え、お互いに疲労の色が見えた。
盤面は、相居飛車の矢倉戦模様。手を口に当て、盤上を覗き込む加藤君。飛車を6筋に回りこませ、青木陣に攻めかかった。青木さんは相手の攻撃を誘い、受けきって勝つ棋風。背もたれから身を起し、的確に応手を繰り出していく。
形成互角で迎えた終盤、互いに対応を一つ間違えれば即、敗北に繋がる状況が続く。神経を磨り減らしながら戦う二人に観衆も息を呑んだ。
加藤君に悪手。渾身の一手が敵陣の急所を捉え損なった。同時に、致命傷に至らないと見切った青木さんの反撃に勢いがつく。午後5時半、百手を超える熱戦を制したのは、青木さんだった。
勝敗の差はわずか一手。疲労の色を漂わせた加藤君が「参りました」と頭を下げると観衆から自然と拍手が起きた。
表彰式で青木さんに48回目となる優勝杯、優勝旗の授与。青木さんは「加藤君は強かった。最後の相手として申し分なかった」と語り、微笑を湛えた。加藤君は「青木さんの手は全てに着実さがあった。自分には最後の読みをやりきる体力が無かった」と語った。
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将棋大会の決勝戦で70歳差対決の前、予選でも二人は対決していた。青木さんは「なんだ、この子供は」と中盤で緩手を指したところを、猛然と加藤君に噛み付かれ、優勢だった状況から一転、敗北した。決勝戦では若い加藤君に分があると思われたが、青木さんの粘り勝ちだった。青木さんは「昔の将棋最盛期には、全伯大会に300人が参加し、朝10時~夜10時まで3日間指しっぱなしだった。あの頃に比べたら今日は普通くらい」と事も無げに話す。また青木さんは0歳で当地のカフェ農場に家族で入植、9歳からは家業の養鶏を手伝った。学校へは毎日片道5キロを歩いていき、オリンピック候補になるほど柔道にも打ち込んできた。つまり、経験と体力、若い頃から苦労して身に付けた総合力である「気迫」が有終の美を描かせたようだ。