日本の大手派遣会社アバンセの林隆春社長の話を聞き、「在日日系人の多くは、ブラジルの貧困層を日本に再生産しているだけ」という部分があると痛感した。デカセギブームが始まった90年代前半、「先進国日本に行くんだから、連れて行った子供もブラジルより良い教育が受けられるはず」ぐらいの楽観的な気分だったが、約30年経った現在、それが「単なる幻想」だったことは明らかだ▼日本レベルの教育が受けられるのは、日本人とごく一部の外国人だけ。単純労働者として入った外国人の子供が、公教育に適応して社会上昇することは、よほど親子共に頑張らない限り難しい。林さんに「日本の産業界では、長期滞在できる日系人を、他の短期滞在外国人の上に立つ中間管理職として登用したり、熟練工に育てて日本人の後継者的な存在にする場合も出てきているのでは」と質問すると、「そういう人もいるが少数」という厳しい答えだった▼林さんは「多くのブラジル人は『流動層』として産業界から〃重宝〃されている。というのも技能実習生は同じ職場で働く制限があるから、人手の需要の変動に応じてあちこちに移動させられない。ところが日系人は需要に応じてホイホイと便利に使える。だが50代半ばになれば、そんな仕事もなくなる」と説明した。残酷な現実だ▼工場の単純労働以外、たとえば長距離トラックの運転手や熟練工の仕事にも日系人は就き始めている。だが、その多くは産業のロボット化によって、近い将来なくなる仕事と見られている。だから日本人の若者がやりたがらない。そこで流動的で便利な日系人に頼る。悲しいことに、日本産業界はそんな残酷な仕組みになっているらしい▼ブラジリアンプラザ設立趣意書は、日系人高齢化問題も指摘する。《日本の日系ブラジル人社会には「老い」の現実が迫っています。今後60歳以上の人は毎年2000人増となり、5年後には毎年2500名ほどが仕事人生をリタイヤ(退職)していきます。その多くが厚生年金や国民年金の満額受給期間は加入していません。働く人生を終えた後、彼らは健康寿命が約15年間、介護寿命が5~6年間、そして要介護の状態で0・6年間という気の遠くなるほど永い余生を過ごす。そんな在日日系人の大多数が人生の最後を日本で迎えることとなりそうです》。恐ろしい未来予言だ▼林さんは「現在一番人数が多い年齢層は40代後半、すでに10~20年既に働いている日系人だ。彼らの仕事は50代半ばまでで、60歳までは難しい。先がないにも関わらず、彼ら自身に危機感が薄い」と明かした。「いずれ彼らのための老人ホームが必要になる」とも。だがタダの施設はない…▼さらに林さんは《日系人の老いも、非正規化も家族の分断も止まることはありません。必要とされる社会インフラもブラジル日本文化福祉協会、サンパウロ日伯援護協会のような社会連帯、経済団体そして福祉を目的とする団体はありません》と当地と比較する▼横浜に「海外日系人協会」があるが、外務省の外郭団体で、外国在住の日系人と日本政府をつなぐ存在だ。不思議なことに、外務省は国外で日系人を支援する姿勢を保ち続けてきたが、同じ日系人が日本国内に入って管轄が通産省、厚労省、文科省等になった途端に「使い捨て人材」にされてしまう▼海外日系人協会は今後、省の枠を超え、国内向きの日系代表団体の役割を強めるべきではないか。デカセギ第2世代を日本産業界の将来の国際戦力、多文化人材として育て上げる方向性を強めるべきだと思う。ブラジル側日系団体もその方向に向け、日本政府に圧力をかけていい▼一つ考えるべきは、何が「日本の国益か?」という問題だ。「日本を将来的に支える多彩な人材を育てること」こそが、グローバル化時代の「国益」ではないか。であれば、日本国籍でない子ども達にも日本人同様の教育機会を与えてもいいはず。この動きはきっと、東京ではなく地方から始まる気がする。(深)