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《ブラジル》邦字紙70年のバランスとは

『勝ち組異聞』(無明舎)

『勝ち組異聞』(無明舎)

 先日、コロニア文芸関係者から「最近のニッケイ新聞は勝ち組側の話ばかりのせて偏っている」とのお叱りをうけた。正直な気持ちを打ち明け、その説明をしたい。本紙は「認識派」パウリスタ新聞と日伯毎日新聞の流れをくむ邦字紙であり、パ紙が創刊した1947年1月から長い間、勝ち組の言い分を一切、紙面に載せて来なかった。90年代から記者をするコラム子は最初、誰が勝ち組かすらよく分からないままに取材をしていた▼05年に暁星学園の同窓会を取材した時、「どうしてパウリスタ新聞系なのに取材に?」と言われ、意味が分からなかった。その記事を紙面に載せた直後、70年代にパ紙編集長だった故田中光義さんから「昔は暁星学園の記事なんか絶対に載せられなかった。でも今は時代が変わった。どんどん載せたらいい」と言われ、ドンと背中を押された。それから、むしろ勝ち組の声を積極的に掲載しなければ―と思うようになった▼以前、脇山大佐殺害事件の実行者の一人・日高徳一さんの連載を発表した後にも、リベラルな学術関係者から「貴方は人殺しの肩を持つんですか?」と非難された。日高さんは確かに脇山大佐を撃ったが、自首して10年間も服役した。刑を終えた人は罪を償っている。償った人は普通に接すべきだ。コラム子は「罪を償った人に、社会的、道徳的な制裁を続けるのは賛同できない。罪を悔い改める機会を否定することになる」と反論したが、その人には納得してはもらえなかった。何か感情的なしこりができているようだった▼一般的に「戦勝を盲信した勝ち組が一方的に認識派を襲撃した」との先入観が広まっているが、よく調べると勝ち組が殺され、怪我させられた事件が半分近くある。正しくは「殺し合った」のであって一方的なわけではない▼そうやって知れば知るほど、日高さんのような勝ち組強硬派は「新選組」に似ていると思えてきた。新選組は幕末に、京都において反幕府勢力を取り締まる警察活動に従事した。正規組織「京都見廻組」は幕臣(旗本、御家人)で、新選組は浪士(町人、農民身分を含む)で構成された「会津藩預かり」の非正規組織だった▼新選組の任務は、京都で活動する不逞浪士や倒幕志士の捜索・捕縛、巡察・警備、反乱の鎮圧など。その一方で、商家から強引に資金を提供させ、隊の規則違反者を次々に粛清するなど内部抗争を繰り返したという。治安維持を表カンバンにして人斬りやユスリも働いた非正規な浪人部隊としての側面もあったわけだ▼だから新選組と敵対していた薩長出身者が政治の実権を握っていた明治期には、幕府軍と共に賊軍となった新選組を否定する風潮が強かった。戦後になってようやく映画やテレビドラマで新選組が主役に扱われることが多くなり、各隊士にもファンが生まれた。昭和40年代に放送された『新選組血風録』や『燃えよ剣』(司馬遼太郎原作、栗塚旭主演)が新選組ブームを起こしたという▼それと同じで時代と共に勝ち組強硬派も、もう少し冷静な目で見られる気がする。勝ち組も負け組もコロニアという一枚のコインの裏表だ。終戦直後には7、8割が勝ち組だったことを思えば、そんな圧倒的大衆の想いや経験、声を記録として残すことは邦字紙の役目だ。ならば、負け組の声ばかりだった60年間を補う必要がある。だからその分この10年ほどは勝ち組系の人物を主人公とする連載を幾つも発表してきた。「襲撃者の一人、日高徳一が語るあの日」「正史から抹殺されたジャーナリスト、岸本昂一」「身内から見た臣連理事長・吉川順治」などだ。それが「勝ち組側に偏っている」との批判を受ける理由だろう▼奇しくも今年はパ紙創立から70周年。邦字紙は昨日、今日出来た新聞ではない。70年間の歴史を俯瞰した上で、現在の紙面を作らないといけない。今年3月に日本で刊行した『勝ち組異聞』(無明舎)は、まさにそんな想いから書いた勝ち組を主人公とする連載の選集だ。負け組系新聞だからこそ、冷静に歴史を見直して、よりバランスの取れた移民史を残したい。(深)