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わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇=(14)

 博多から釜山への海上輸送船も時間は決まらない。要するに連合艦隊の監視を避けるために夜間ひそかに出航するのである。勿論、船名や時刻は秘密にしての出航であり、乗船と同時に浮遊袋がくばられ着用が義務づけられての出で立ちだった。夕闇迫る頃だった。
 中隊長はいつ魚雷に遭遇するか知らないので指示に従い安眠は絶対にゆるされないと告げられた。戦々恐々船底に入りそのままの姿で待機していた。何時出航したか知らない。万一の事態にそなえそのままの服装で横になり仮眠状態で翌朝8時頃無事釜山に到着した。死の関所を生き抜いた思いで釜山の空を仰いだのであった。釜山の港は朝霧たなびく曇空だった。早速ホテルに一泊となるが、船内の仮眠と心の緊張感で疲れ果てていた。
 しかし、ホテル入口に着くと異臭が鼻をつく。朝鮮人特有なニンニクと辛子を焦す強烈臭いだった。それでも料理は違和感なく食べられた。その頃、常に食糧不足だったし、豆や芋の多いご飯には馴れていた。釜山といえば満州からの穀物の輸送供給玄関だけに日本内地の食糧事情とはうって変わった感じがあり、一泊の休暇ですっかり元気が戻り、いよいよ満州向け出発することになった。

男一匹

1.生まれ故郷を あとにして
俺もはるばる やって来た
蘭の花咲く 満州で
男一匹 腕だめし
2、金もいらなきゃ 名もいらぬ
生まれついての 丸はだか
もった度胸が 財産で
やるぞ見てくれ この意気を

 汽車は釜山から朝鮮の北に向け縦断、京城で一時停止、国境の鴨緑江を越え、新京・哈爾浜(ハルピン)へと北上、そこから牡丹江行きの汽車、その中間に一面坡がある。結局釜山より一週間かけての汽車便は実に長い。広大一望の原野満州大陸、どうやら目的の大地にたどり着いた。安堵感でしみじみと大陸の実感にひたる。見たことのない真っ赤な夕陽が大陸の西空に輝く曠野の大地、隊員たちの多くが実感をささやきあっていた。しかし窓外には雪がまだ降りつもっている。気温はマイナス25度の厳寒とか聞いた。3月上旬4月一杯そのまま続くと云う話である。初めて見る光景、突然夢の世界に入った感じ、一面坡駅頭に着いたのが1944年3月10日、吹雪の吹きすさぶ朝だった。
 車内は暖房があってか、その極寒もそれ程感じなかったが、一歩車外に出るとそれは指先に針でもさすような痛い寒さと顔を吹き流す冷風はじっとしていられない寒さだった。翌日入所式に先立ち防寒服一式が各自に配られ満蒙開拓者の一員として洗礼を受けたのである。