登山鉄道の町パラナピアカーバ(Paranapiacaba)は、サンパウロ市近郊ABCD地区のサントアンドレー市の南端にある。普段ならメトロのブラス駅でCPTMに乗り終点のリオ・グランデ・ダ・セーラ駅まで行き、さらにバスを乗り継がないといけない。もしくは毎週日曜日に観光列車がルス駅から出ており、50年代のレトロな車両で48キロを1時間半かけて運行する。
この町はとにかく湿気が多い。海から湿気を含んだ南風がやってきて、海岸山脈にぶち当たり、一気に800メートル近く標高が上がるので温度が下がり、空気中の水分が霧に変るという節目の場所だ。この海岸山脈を駆け上る8・5キロの登山鉄道の区間の一番上の駅として生まれたのがこの町だ。ここまでが登り坂で、この先は高原地帯になる。だから町の名前はツピーグァラニー語で「海の見える場所」だ。
2億年ほど前に、ゴンドワナ大陸が分裂をはじめ、南米、アフリカ、南極大陸などのプレートに分かれた際に生まれた歪みが海岸山脈だ。南米プレートが西にむかって動いて太平洋プレートにぶつかり、南米大陸の西端にアンデス山脈が隆起した。その時、大陸の東端部分も西方向に推された力で盛り上がって海岸山脈が生まれた。現在でも30万年に25メートルの割合で隆起しているという。
この町の人口は1千人ほどだが、鉄道駅が盛んな頃は5千人が住んでいたという。1860年頃から工事が始まってイギリス人技師、スペイン人、ポルトガル人労働者ら「多国籍部隊」が連れて来られ、その一部が住みついた。線路の海側にはポルトガル人労働者の住宅街、平地側には技術者を中心とした「ヴィラ・イングレーザ(英国人街)」などが形成され、今も当時の住宅が残っている。小高い丘の上にはイギリス人総督邸宅もある。素朴な欧州風の雰囲気が今も濃厚で、観光の見どころになっている。
この登山鉄道のシステムは1867年からケーブルカー方式を採用していた。8・5キロ区間を約2キロごとに分け、鋼鉄ケーブルを牽引する蒸気機関4基をそれぞれの区間に設置して、車両をバトンタッチするように引っ張りあげた。傾斜は10・5度で、60トンのトルク(牽引力)を誇った。
ちなみに日本で最高の勾配は大井川鐵道井川線(静岡県)で5・4度だから、それを軽々と超えている。幕末にそれだけの工事をしたのだからS/J線もたいしたものだ。その後1900年に新線が敷かれ、こちらは10・5キロが5区間に分けられ、各区間に蒸気機関5基を設置して引っ張りあげた。勾配は8・5度になだらかにし、120トンのトルクを出した。この時代に笠戸丸を始め、日本移民の大半はこの新線のお世話になっている。
世界の登山鉄道で最も急勾配なのは、スイスにあるピラトゥス鉄道で、その最大勾配は25・6度とケタ違いだ。山岳国スイスにはさすがにかなわないが、わが海岸山脈の鉄道区間も世界に誇れる勾配といえそうだ。鉄道ファンならずとも一度は乗ってみたいところだが、残念ながら現在は貨物列車だけ。リオを経由してミナスまで繋がって主に鉄鉱石などを運搬しているという。
ガイドのゼリアさんと話していて、気になる一言が耳に残った。「ここの鉄道システムは一時期、日本の会社のものだった。その最初の頃に事故が起きて、日本人を含めて何人か死んだ。あの事件は、軍事政権時代だったからほとんど報道されなかったと思う」。これは本当だろうか…。(深)