「今年も日本祭り、お疲れさま!」――土曜午前10時過ぎ、サンパウロ市のジャパグアラ駅外の無料バス乗り場は、すでに30分待ち。会場の混み具合からしても、間違いなく例年以上の人出だ。その対応で、朝から晩まで働いた各県人会の婦人部や青年部始め、日系団体や企業の皆さん、県連役員の皆さんに、心から「お疲れさまでした」と言いたい。
「世界中探しても、地元主催でこれだけの規模の日本祭りを開催しているのはブラジルだけ」。本紙ブースに立ち寄ったさる外交官は、しみじみとそう言った。県連が企画し、現地側企業が支援し、県人会や日系団体が力を合わせて実行した。欧米にも漫画アニメに偏ったものはあるが、ここのように日本文化を総合的に体験できるイベントは世界中見てもない。
日系ボーイスカウトはもちろん、若者の参加が年々増えている感じを受ける。和太鼓隊が会場を叩きながら行進するのも、「祭り」の雰囲気を盛り上げていい。元気があった頃の「日本の村祭り」が、ブラジルに移植されつつある感じだ。
網野弥太郎さんが県連会長だった時代、20年前に日本祭りはイビラプエラ公園のマルキーゼで始まった。当時、鳥取県人会の西谷博会長が芸能部門を仕切り、普段の温厚さをかなぐり捨てて「出演者に弁当ぐらい出さないでどうするか」と熱弁をふるっていた。舞台から落ちて大ケガをしたのに、西谷さんは指揮を執り続け、祭りを成功させた。その勢いを駆って、西谷さんは2000年から県連会長を任された。
コラム子は第2回から欠かさず見ているが、当時から身動きできないほどの人出だった。その後、サンパウロ州議会駐車場を経て、現在の会場へ。日本移民90周年を機に始まり、一般社会向け日本文化普及イベントとして20年間も続いてきたことの重大性、親日派ブラジル人を育んできたことの意味を改めで今回痛感した。これが「移民が誇る民間外交」でなくて何なのか。日本政府のジャパンハウスがいつまで続くか分からないが、こちらは少なくとも20年は先を行っている。
ダイソーは2011年にアンテナショップを日本祭りに出し、客の好反応に確信を持った。すぐに店舗展開を図り、現在では13店にまで急拡大した。企業にとっても十分にマーケティングで活用できるイベントだ。
とはいえ、良くも悪くも、現代日本のそれとは多少かけ離れてきている部分があることも否めない。ここで中心になるのは、ブラジル人が受け入れやすい日本文化が選りすぐられて、なじみが良いように修正された「日系文化」だからだ。だが、よく考えれば「日本文化の国際化」とは、まさにその現象に他ならない。外国人が見た日本文化が本来の「クールジャパン」だ。
この「外国人がみた日本文化」という意味で、感慨深いものをNHKブースで見た。日本語普及の一環として、気に入った漢字をペン習字で書かせる体験コーナーをしており、非日系人を中心に人だかりができていた。何気なく壁に貼られた作品群を眺めていて「アッ!」と目からウロコが落ちた。「木」を三つ書いて「森」であるのと同じように、「冬」を三つ書いてあったからだ。「今年のサンパウロの冬はすごく寒い」という気分がすぐに伝わって来た。漢字の法則性を理解し、独特の発想を持っていないと、そんな創作はできない。
さて、来年の日本移民110周年では、記念式典がこの日本祭り内で開催される予定(2018年7月21日)だ。当然、日本政府要人ら来賓、中でも皇族が足を運ばれる可能性がある。移民祭は6月、日本祭りは学生ボランティアが休みを取りやすい7月にしているから、過去一度もご訪問はなかった。来年は特別だ。
110周年実行委員長の菊地義治さんは5月に自費で7~8つもの県を訪問して、来年の日本祭りへの物産展出展を依頼して回った。8月に再訪する際には、幾つかで色よい返事が聞かれるのではないか。2020年東京五輪はもう目と鼻の先であり、それに合わせてブラジルから観光客を呼びたい自治体には絶好の機会といえる。これだけ日本に興味のある外国人が一堂に会するイベントは、世界中を探してもない。しかも来年はさらに注目が集まる。今から楽しみだ。(深)