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四世ビザに「条件付き賛成」?=本人や関係者に意見聞く=(4)=元デカセギ3人の声

経験を話す中村さんと島袋社長

経験を話す中村さんと島袋社長

 斉藤マウリシオさん(41、三世)は2004~11年まで日本に住み、機械のオペレーターや自動車部品の工場などで働いた。「ブラジルは全く違う。日本は組織のために働くという意識が強い。責任感の強さを感じた」と振り返った。
 「もし再度日本で働く機会があれば行くか?」という問いには「いいえ」と首を振り、「子どもが2人いるし、僕にはこの国での生活が合っている。僕はブラジル人です」と微笑んだ。
 続く佐々木フェルナンドさん(37、二世)は、「言葉や仕事は日本人が助けてくれた。もしもう一度働く機会があるなら、日本に行きたい」とのこと。
 佐々木さんは仕事中の事故で負傷し、現地の病院で治療を受けた。「そのときに言葉の問題、医者のやり方に慣れず不安を感じた。ブラジルに帰ったほうが良いと思った」と帰国のきっかけについて語った。「07年に訪日して、半年しか働けなかった」と残念そうに呟いた。
 「18年間日本で働いた」と語った中村アルベルトさん(39、三世)。19歳で日本に行き、静岡県の自動車部品工場をはじめ10カ所で働いた。中村さんの両親や姉妹はまだ日本に残っているそうだ。
 「昔は残業がたくさんあった」と話す中村さんは、「平日は12時間働いた」という。訪日当初は、ほとんど毎日残業を強制され、「残業をしなければ文句を言われることもあった。僕はお金を稼ぎに行ったから我慢できたけど」と思い出す。
 「職場ではブラジル人に対する差別があった」と、外国人に対する差別的行為を目にしたこともあるそうだ。
 「日本はもっと外国人労働者を受け入れたほうが良いとは思う。日本に憧れを持ち、行きたがっている人もいる。だけど受け入れ体制を改善しないとダメ。これはブラジル人のデカセギだけじゃなく技能実習制度などで働いているアジア人にもあてはまる」と問題を指摘した。(つづく、國分雪月記者)