1943年施行の統合労働法(CLT)は、少し日本の憲法に似ている。歴代大統領が試みてきたにも関わらず、74年間も実現しなかった難事だからだ。軍事政権すらやらなかった。
その間、憲法自体はなんと3回も作り直された。だが労働法は「触れてはいけない聖域」であり続けた。それを改正しただけでもテメル政権はある意味、歴史に名を残した。
以前「奴隷の呪い」について書いたが、それを制度的に結実させたのがこの労働法といえる。1888年に奴隷解放されても黒人に仕事はなく、教育も与えられず、社会の底辺に留まらざるをえなかった。しかしサンパウロ市を中心に工場が建ちはじめ、第一次世界大戦の特需にわくサンパウロ市では無謀な長時間労働が横行し、ちょうど百年前の1917年、ブラジル初のゼネストがうたれ、産業構造が変わり始めた。
1920年代まで政界を支配したのは大農場主だったが、工場労働者や中産階級が増える中で、1930年頃から労働者の権利を訴える声が強まった。
米国からの圧力で第2次大戦の欧州戦線に遠征軍を派遣して軍部が力を強める中で、国民からの支持を強めようとしたヴァルガスは、労働者を最優遇するこの統合労働法を1943年に施行した。
二宮正人USP法学部教授はこの法律に関し、《1927年のイタリアのムッソリーニ政権下の労働章典(Cartadel Lavoro)をそっくりそのまま翻訳したものであったことは、あまねく知られている》(『日本労働研究雑誌』2007年5月号)と書く。ムッソリーニは社会党出身で、革命的サンディカリスム(急進組合主義)などの影響を受け、独自のナショナリズムを形成した。左派から始まって大衆迎合型のカリスマ政治家となり、独裁政権になって大戦に突入した。
ブラジルでは73年の間に、イタリア仕込の労働者の強い権利意識はすっかり浸透し、現在では労働訴訟数世界一の〃大国〃になった。
フルミネンセ連邦大学法学部教授カシオ・カーザグランデ氏はJota.info6月26日付ブログで《「年間400万件も抱えるブラジルは労働訴訟の〃世界チャンピオン〃。米国ではたった7万5千件」というフレーズを、みな聞いたことある》と書いた。
前出の二宮論文は統合労働法をこう説明する。《労働者優遇の規定を備えている点では、世界でも有数の法律であるといっても過言でなく、ブラジル進出を画策する外資系企業からも、そしてまた民族資本からもその行き過ぎが批判されている。外資誘致の際に議論されるブラジル・コストの削減、労使関係のフレクシビリゼーションといった観点から真っ先に槍玉にあげられるが、多くの規定は労働者の当然の権利として憲法にも謳われており、雇用者側がそうした既得権について譲歩を得るのは非常に困難》とある。
つまり、この労働法をベースに憲法が3回も全面改訂しているから、いまさら改正不可能と思われていた。
過剰だったとしても、労働者の権利を弱める法改正であることは否定できない。この改正を公約に出馬して当選する大統領候補はいない。
逆に言えば、テメルは選挙で選ばれていない大統領だからこそできた。ルーラ、ジウマと続いた左派政権の暗部がラヴァ・ジャット作戦で明らかになり、「左派政権の行き過ぎの揺り返しをする」という大義名分が通る今は労働法改正の好機だ。
だから、企業と相性のいいPSDBは前々からやりたかった。選挙のことを考えると二の足を踏まざるを得なかったこの改正を、テメルに裏から押し付けたと想像される。
先週は「節目」の出来事がもう一つ起きた。ルーラ有罪判決だ。この労働法が強力に労働者保護、組合擁護をする風土からルーラやPTは生まれた。いわば統合労働法の「落とし子」だ。改正で組合税廃止なら、ルーラの基盤は弱まる。もう彼のような「カリスマ」は生まれないかもしれない。今改正で「奴隷の呪い」の一部は解けたのかも。
それにしても考えてみてほしい。現大統領は「起訴」、前ジウマ大統領は「罷免」、そしてルーラ元大統領には「有罪判決」だ。03年から全ての大統領が司法から問題視されている。「この14年間は何だったのか?」―つい、ため息が出た。(深)
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