残業月200時間を超える過重労働に耐えきれず、今年3月に自殺した建設会社の男性社員のことが、日本で先日報じられたのを読んで驚いた。残業だけで200時間なら、月25日間働いたとして残業だけ毎日8時間だ。なんと一日16時間労働…、ブラジルなら「奴隷労働」と訴えられる。
25日付共同通信には、《(日本の)年間の自殺者は、16年は2万1897人と7年連続で減少。03年の3万4427人と比べると減っているが、自殺死亡率は他の先進国と比べて依然として高い》との記事があった。
政府は《自殺死亡率(人口10万人当たりの自殺者数)を今後10年で30%以上減らすとの数値目標を掲げた》とも。
これらを読んで、13年10月18日付本コラムで、こう書いたのを思い出した。
《日本の自殺者が毎年約3万人と聞くたびに、「決行する前にぜひ途上国旅行を薦めたい」と思う。先進国や観光地ではなく、「普通の世界」を見た上で考え直してほしいと。ブラジルでは毎年4万人が交通事故死し、日本の8倍だ。銃犯罪死亡者に至っては3万人で、比較すらできない。贅沢なはずの環境の中で自ら命を絶つ3万人がいる一方、同じ数が銃で撃ち殺される国もある訳だ》
今もまったく同じ気持ちだ。
非人間的な労働環境を強いられた時に、「冗談じゃない。いったん日本を出よう」と思ってもいいと思う。人生にはいろいろな選択肢があるべきだ。海外移住もその一つではないか。
だいたい200時間残業を強いるような労働環境からは、逃げて当然だ。じっと耐えて思いつめるより、何も考えずに日本を出る生き方があってもいい。
「自分が外国で生活できるだろうか?」という不安は当然浮かぶ。だが、南米移民の大半は留学生や駐在員、研究者のようなエリートではなく、「大衆」という言葉がふさわしい人たちだった。零細農家の次男、三男が一番多く、移民船で到着して「サントス(港)でヨーイドン!」とばかりに人生を見事にやり直した。
とはいえ戦前なら戦時体制化する日本から逃げた左派活動家、公然と徴兵逃れを自称する者もいた。移民初期にまでさかのぼれば、明治期に宗教迫害を受けた隠れキリシタン、被差別階級の人も数えきれない。外国に居場所を探すのは世界史的に見て普通のことだ。
今の日本は治安も、物質的な豊かさも、経済の安定性も、社会保障制度も世界最高と言っていい。恵まれ過ぎていて離れる気すら湧かないのかも。だが、全ての点で満点である訳ではない。世界最多クラスの自殺者がいる現実が示すのは、不満不平もあるということだろう。
追い詰められる前に、貯金を全部降ろして期限を決めずに日本を出てみたらどうか。とりあえずは観光ビザでいい。
日本や米国ではビザ期限切れ自体が犯罪扱いされるので敷居が高いが、たとえばブラジルではビザ切れ滞在自体は犯罪ではない。麻薬などで警察の世話にならなければ、ビザ切れだけで国外追放されることは稀だ。
真面目に暮らしていれば、連邦警察に罰金さえ払えば、気が向いたときに日本に帰れる。
サンパウロ市なら日本食に困らないし、日本人向け安宿もある。県人会の宿泊施設に泊まってあちこち見て回ったらどうか。
ポルトガル語ができなくても日系団体の世話になれば、片言でも日本語ができる人はいる。ユバ農場で農作業ボランティアをするとか、サンパウロ日伯援護協会の福祉部に相談する手もある。地方日系団体で日本語教師の補助をするとか、どこかで居場所を見つけられるかも。
もちろんブラジルは超格差社会で、大不況下にあり、治安もひどい。だがその有り様を見て、いかに日本が恵まれた素晴らしい国で、いろんな生き方があるかを痛感するに違いない。
もし自殺する勇気がある人がこのコラムを読んでいたら、何も考えずにブラジル行きの航空券を購入することをお勧めする。携帯を手放して、自分の目で色々なものを見て歩き、食らいつき、肌で感じ、「常識」を問い直してみるのも、たまにはイイかも? (深)
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