イタイプーダム建設を救った〃8人の侍〃の一人、荒木昭次郎さん=ミナス州ベロオリゾンテ在住=が、コラム集『ブラジルのダムと五十年』(日毎叢書企画出版)を7月に刊行した。
2011年から『楽書倶楽部』に投稿してきた30本をまとめたもの。この8月で渡伯55周年になる荒木さんは、南米産業開発青年隊を通して63年に移住して以来、ブラジル全土のダム建設現場を2、3年ごとに渡り歩く技術者渡世を送ってきた。
《今でも最も思い出に残る工事は、ブラジルとパラグアイが共同で始めた世界最大のイタイプーダム工事》だという。国家的な事業にも関わらず工期が大幅に送れ、急きょ助っ人で日本人技術者8人が送り込まれた。その一人が荒木さんだった。
イタイプーの第1期工事がほぼ完了したとき、ダム完成後には水没してしまうセッチ・ケーダスの滝を見に行ったという。《観光地としてのつり橋なのに、工事現場でよく架ける仮の渡し場のよう。それにワイヤーの止め方などが規定以外。ワイヤーには赤い錆びも出ていたので、「これは大丈夫か」と心配になり、急いで引き返した。偶然にその一週間後、テレビでそのつり橋が落ちて十数人が犠牲になったことを知って鳥肌が立った》との逸話も。
興味深い考察やエピソードが満載。問合せは日毎叢書企画出版(11・3341・2113)まで。
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荒木昭次郎著コラム集『ブラジルのダムと五十年』(日毎叢書企画出版)には、こんなエピソードも。マラニョン州のエストレート・ダムの現場にいた当時、町に日本人がいるというので会いに行った。《タケシという人で息子がサッカーの選手サンドロ・ヒロシとの事でした》(9頁)との逸話も。一時期サンパウロFCでレギュラーとしてセレソン招聘も噂されるなど、将来を嘱望された有名選手だった。だだし年齢査証疑惑が起きた後、韓国へ渡った。