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108歳、川村さたよさん=現在のコロニア最高齢か=発酵食品と腹八分が秘訣?

108歳の川村さたよさん

108歳の川村さたよさん

 「現在のコロニア最高齢か」――そう噂されるのは川村さたよさん、108歳だ。1930年に宮城県から移住、現在はサンパウロ市に在住している。家族など関係者に取材し、1世紀以上に渡るさたよさんの生涯を紐解いた。2014年2月1日に亡くなった沖縄県名護市真喜屋出身の上地マツさんは、110歳で当時コロニアの最高齢だった。

 さたよさんは3年前から、非日系人のルイス・カルボス・ヴァルシロウリさん(67)の家で介護を受けながら暮らしている。ルイスさんの妻で介護士のカルミンダさん(57)は「耳が遠くなって話さなくなったけど、今でも自分で食事をする。米粒一つ残さず綺麗に食べるわ」と話す。
 電話取材に応じたさたよさんの次男、次男(つぎお)さん(80、二世)は母の経歴を訥々と話してくれた。
 さたよさんは1909年5月19日、現在の宮城県塩竈市で大家族の末っ子として生まれた。実家の旅館は兄夫婦が後を継ぎ、今でも残っているという。「ぶえのすあいれす丸」に乗り込んだのは30年9月22日、21歳のとき。渡伯前に隣町出身の元次さんと結婚し、元次さんの姉夫婦と4人で渡伯した。
 同年11月12日に着伯した後は、アチバイア市、タバチンガ市などサンパウロ州内を転々とし、綿作や蚕業に携わった。50年代前半からの約10年間はアララクアラ市に自分の農園を所有し、野菜などを作ったという。「当初は5年したら日本に帰るつもりだったらしい。でもやっぱり帰れなかった」と次男さんは言う。
 62年、三男の稔さんが大学に進学するのに伴って、一家はサンパウロ市に移住した。その2年後に元次さんは60歳で亡くなった。
 次男さんは「苦労は絶えなかった」と話す。「母はすごく働き者で、僕たちの面倒を良く見てくれた」と振りかえった。「自分は節約して、子供のために服を買っていた。兄が美容師の女性と結婚したから母はパーマをかけてもらったんだけど、それが初めておしゃれだったんじゃないかな」と懐かしんだ。

52年の家族写真。前列左から2番目がさたよさん。長女の愛子さん(後列右)が作った洋服を着ている。

52年の家族写真。前列左から2番目がさたよさん。長女の愛子さん(後列右)が作った洋服を着ている。

 佐智江さんはさたよさんについて「100歳過ぎてからも新聞を読んだり、編み物をしたり、家事も自分で出来ることは全部やっていたのよ」と話す。「きっと若い頃から外で畑仕事をして体が鍛えられていたのね。階段のある家に住んでいたけれど楽々上り下りしていたわ」と明かした。
 さたよさんが好きだった食べ物を尋ねると「味噌汁、納豆、それにヤクルトをよく飲んでいた」とのこと。発酵食品に乳酸飲料とは体に良さそう。食べてもいつも腹八文目まで、水をたくさん飲むなど、健康的な生活を送っていた。
 歩くのは難しくなったさたよさんだが、先月ルイスさんの一家とベルチオガ海浜に旅行に出かけるなど、まだまだ元気。記者が写真を撮る前、カルミンダさんが髪をとかすと、小さく微笑んだ。

 

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 108歳、コロニア際高齢かといわれる川村さたよさん。そんな彼女と41年間生活を共にした三男稔さんの妻、佐智江(さちえ)さん(70、広島)は「無口な人で昔のことをほとんど話さなかった。いつもきちんとして余計なことを言わなかった」と話す。73年に佐智江さんと稔さんが結婚し、さたよさんと一緒に暮らし始めた。「私たちに子供が出来るまでよく一緒に旅行に行ったわ。近所を出歩くのも好きでよく2人で買い物に行ったわね」と振り返った。昨年、稔さんが72歳で亡くなり、子供5人のうち3人に先立たれた。現在さたよさんには9人の孫と9人のひ孫がいる。