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顔見合わせ「アンタも海軍か」=広島文化センター終戦映画の上映会で

偶然隣り合わせた前田さんと井上さん

偶然隣り合わせた前田さんと井上さん

 「アンタも海軍か!」―終戦記念日にブラジル広島文化センターで行われた映画『日本でいちばん長い日』(2015年、原田眞人監督)などの上映会の合間、井上靖文さん(89、福岡県)は、海軍カレーを食べるために偶然隣に座り合わせた前田定信さん(92、二世)と顔を見合わせ、しみじみとそう言い合った。
 井上さんは2歳の時、家族でブラジル移住。元海軍軍人の父に連れられ7歳で永住帰国し、中学の途中で予科練に入った。「ゼロ戦でも練習しましたよ」と懐かしそうに中空に視線を投げた。2年半で卒業予定だったが、戦争の関係で2年に切り上げ。1945年4月に卒業、「三重県津市の海軍航空学校の連中と合流して長野県野辺山基地で一緒に練習していた。といってもガソリンがないからグライダーだけ…」。10月に実際に特攻機に乗る予定だったが、寸前の8月15日突然終戦になった。
 「終戦になった時は、とにかく何が何だか分からなかった。ただ『早く帰れ』とだけ言われ、福岡行きの列車に飛び乗った。鈴なりでしたよ。その時に焼け野原になった広島の町を見ながら帰った。今思えば、あれば原爆でやられた直後だった。でもその時は、原爆だなんて知らなかったんですよ」と感慨深げ。
 「映画を見ながら、あの頃のことを思い出した。私たちがのべつ幕なし特攻の演習に明け暮れていた頃、東京ではこんな事が起きていたんだね」と、戦争続行を主張してクーデター未遂事件を起こした一部陸軍と、終戦受け入れをご決断された天皇陛下との様子を描いた『日本で一番長い日』を見た感想をのべた。終戦後、ブラジル移民が再開された翌1954年に再渡伯した。
 前田さんは1924年12月に聖南ペドロ・デ・トレド市生まれ。「僕は二重国籍。2歳の時に家族に連れられて沖縄県国頭郡羽路村字仲尾次に戻った。1942年に長崎の大村航空隊に入隊し、整備兵の見習いになった。特攻隊の飛行機の整備もしたよ。それから岩国、大分、航空母艦にのってフィリピン開戦にも」。懐かしの海軍カレーを残さず頬張りながら、隣に座った井上さんと懐旧談を温めた。