パウリスタ新聞の元記者で「歩こう友の会」に世話人の小笠原勉さんが19日深夜自宅で、肺疾患が原因で呼吸困難となり、サンタクルス病院で亡くなった。20年ほど前から肺に持病があった。享年76。
1942年3月26日、秋田県大館市出身。同県で県北新報の記者を経験したのち、パウリスタ新聞創立者の蛭田徳弥氏の呼び寄せで61年に渡伯。86年まで同新聞社に勤め、主にスポーツ面を担当した。
退社後は旅行代理店で数年間勤務。その後、訪日就労者向けの代理店を起業、経営した。
20年以上に渡って「歩こう友の会」に世話人として関わり、ルートの下見など精力的に活動した。肺の疾患のため、坂道を歩くのに苦労したという。
葬儀は20日、ビラアルピーナ墓地で行なわれた。初七日法要は親族のみで執り行う予定。49日は未定。
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