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サンパウロの地名を紐解く=ヴィラ、ジャルジン、そしてボスケ=別荘、庭園、叢林の使い分け=サンパウロ市ヴィラ・カロン在住 毛利律子

ヴェルサイユ宮殿(1789)の図面(William Robert Shepherd [Public domain], via Wikimedia Commons)

ヴェルサイユ宮殿(1789)の図面(William Robert Shepherd [Public domain], via Wikimedia Commons)

▼ヴィラ

 サンパウロ市内の地図を広げると、「ヴィラ」「ジャルジン」が付いた地名がなんと多いことか――。非常に興味深いことである。
 なぜかと言うと、遡れば、貴族社会のあった時代に、いわゆる、そういう階層がちょっと町の本宅を離れて、田舎で過ごすために建てられた別荘などの集まる場所を指すからである。
 サンパウロにいた貴族が、ヨーロッパに倣ってヴィラを造り、庭を作ったということから始まっているのか。ブラジル歴史の勉強不足で詳しいことは分からないが、地図を眺めながら、いろいろと想像が広がる。
 ではまず、いつごろから流行り始めたのか、その歴史的経緯を辿ると次のような説明がある。
 「ヴィラ」はイタリアのルネサンス時代に上流階級の人々が営んだ別墅(べっしょ)(別荘)で、同じ都市内の住まいとは別のところ、広大な土地が得られるところに設けられた。
 それらは、都市の中にある本宅から別に設けた別荘、あるいは避暑地の別宅ということではなく、本宅のある都市部を離れた、より広大な土地が得られるところにヴィラは設けられるわけである。そして広大な庭付き別荘は、知的なサロンとしての意味を持っていた。要するに、ヴィラは「別邸」なのである。
 ではイタリアのルネサンスの人々が具体的に何をお手本にしたかというと、それは、古代ローマのヴィラにおける生活であった。最初はイメージという形であったものを、より具体的な造りにするため、ローマ時代の文人が書いた書物が参考にされたが、それについてはかなり専門的になるので、ここでは割愛する。
 つまり、田園生活が楽しめ、哲学者、文人、詩人、音楽家、画家などが集まり、論議・談笑・遊びなどで時を過ごす、知的サロンへの憧れを再構築した、と言うことになる。
 日本でいえば、室町時代の足利義満の金閣寺、銀閣寺のある東山殿、桂離宮、後水尾上皇の修学院離宮などは、「ヴィラ」の代表格である。
 ヴィラは肥沃な土地で無ければならないというひとつの条件の上で、そこには神聖な泉があり、ひとむれの木立、やわらかな草地が広がり、サラサラと流れる小川、岸辺には色とりどりの花々が風に揺れ、土地の奥にはグロッタ(洞窟)があり、そこからは人工のカスケード(イ語)、カスカッタ(ポ語)(滝)まで仕立てられていた。
 緑の樹木だけでなく、果樹や花木が、まさに理想郷の世界が再現されたかのような庭が作られていた広大な別荘のある場所がヴィラの原型となるようである。

▼ジャルジン

 もう一方のジャルジンは、いわゆる「園」で、人間が森を切り開いて作った庭、という意味であるが。これも原型はイタリアのルネッサンス時代である。
 つまり、ヨーロッパの貴族が好んで作ったのは、町から離れた広大な別荘(ヴィラ)を建て、館と庭の大筋を作った。館を囲み、一方には森(ボスコ、ボスケ)、片方には鮮やかに彩られた園(ジャルジン)の二つが作られた。
 その館の主はもちろん裕福な階級の人々であるから、門は主(あるじ)専用の門と、ボスケの入り口にある一般の人々が訪れ、見学できる門であった。
 こういうジャルジンに住む領主、館主は、庭を一般に公開するための門などの工夫も施し、それは、いわゆるチャリティ(慈善=カリダージ、ベネフィシエンシア)の意味を含むものでもあったのである。
 このボスコの中には、「ラビリント=迷路」まで造られた。
 このルネサンス時代にできたジャルジンの特徴は、「庭」と「森」の二元構造である。森無くして、庭を考えることはできないほど、二つが組み合わされて出来上がっていた。
 その原型となったのは、ローマ法王庁の枢機卿が、ローマから一時間ほど離れたヴィラに造った「ランテ荘」が元になっているらしい。まず「庭」と「館」の大筋が作られ、後に、原生林の森を庭に取り込んだのである。
 なぜ、ヴィラの中の別荘に庭と森を作るかというと、「エデンの園」でアダムとイヴが幸せに暮らしていた、神の怒りを受ける前の人間と神々が共存していた、「黄金時代」を表し、「庭」は大洪水以降の時代を表している、という説がある。

▼独立公園の原型はフランス式庭園

独立公園の全景、手前がパウリスタ博物館(By kl25031 (Flickr), via Wikimedia Commons)

独立公園の全景、手前がパウリスタ博物館(By kl25031 (Flickr), via Wikimedia Commons)

 旅行でサンパウロを訪れた人も、住人も、たぶん一度は見学するであろう場所の一つに、独立公園(Parque da Independencia)がある。それは、ドン・ペドロ1世が1822年に国の独立を宣言した歴史的場所イピランガの丘、サンパウロ市の中心部セントロから直線で南南東に4キロ離れたところにある。
 ブラジル・サンパウロ市の緑地環境局が2006年に発行した「緑の地図(Mapa Verde)」によると、サンパウロ市営の公園は32カ所であり、これらの公園を順に紹介している。
 それには、順に番号が振られているが、番号は、サンパウロ市東部の公園から始まっており、東部、北部、西部および中心部の公園で、独立公園は24番目に当たるそうだ。
 この公園は、1989年に開園され、16万平米の広大な面積を有する、噴水のあるフランス式庭園である。噴水は、1922年のブラジル独立100年を祝って計画され、2004年に再整備されたという。
 現在は公園内にあるパウリスタ博物館(通称、イピランガ博物館)が改修中ということで、一説には、10年先の開館を待たねばならないというから、どのような改修がされるのか楽しみである。もちろん現在でも庭は解放されている見学がてら散策できるのはありがたい。
 公園のみどころは、なんといってもサンパウロ州立総合大学が所有するパウリスタ博物館と、イタリア人のエットーレ・シメネスによる「イピランガの叫び」を讃える彫刻だろう。
 庭園中央の独立記念碑には1822年にポルトガルからの独立を宣言したペドロ1世の像があり、王妃ともに台座の下に埋葬されているという。
 16万㎡の広大な敷地に、国旗掲揚塔、イピランガ川を挟み、長大な軸線状に、独立記念碑、その一番高いところに壮大な宮廷風パウリスタ博物館が建っている。パウリスタ博物館の前にあるフランス式庭園には大噴水があり、その後ろには小さな森があって、そこは散策路として公開されているのである。

ヴェルサイユ宮殿の噴水広場(By Harry (www.gnuart.net) [FAL], via Wikimedia Commons)

ヴェルサイユ宮殿の噴水広場(By Harry (www.gnuart.net) [FAL], via Wikimedia Commons)

 この公園は、フランス式公園に設計されているということで、それではどのように取り入れられたかを、フランス・パリのヴェルサイユ宮殿の航空写真で比較すると、その類似性は一目瞭然である。
 フランスのヴェルサイユ公園は、館と庭が一体となった壮大なシンメトリー(左右対称)の構図に仕立て上げられているのが特徴である。宮殿建築の原型はイタリアにあるが、17世紀のフランスの建築家、ル・ノートルによる独創的な幾何学的庭園が、後にフランス式公園の代表となった。
 日本では、その規模は小さいながら、赤坂離宮、迎賓館などがその影響を受けているという。
 さて、ル・ノートルの庭の特徴は、強い主軸を強調するために両側に置かれた森が、実はいくつもの庭の集まりである。これがよく、ジャルディン・ガーデンと呼ばれる庭の原型であるという。
 中心に噴水が置かれ、その水が流れていく辺りには珍しい東洋の花木や、珍しい花々の花壇が、空中から見ると、まるで刺繍文様のような技法で作られ、美しく整備された形式の庭である。
 「造園学」という専門分野があり、それを参考にするとさらに興味深い解説を読むことができるので、造園に興味のある方にはお勧めである。

▼賑やかな森

 サンパウロには、個人の住宅域内に森を有している方が結構多い。そのような森を訪ねると、図鑑でしか見られないような、実に興味をそそられる珍しい木々や花々を見ることができるのである。そこは庭園用語で言うボスケ・叢林(樹木が群生している林)である。
 例えば、サンパウロ市郊外のお宅の森には、今、アンダーアスー、パイネイラの巨木、筆者は生まれて初めて目にしたマッタ・パウ(親殺しの木)などを見ることができるのである。まだまだ他にもあるが、ここではアンダーアスー、パイネイラの巨木を紹介する。これらの大木が興味深いのは、その巨体を飾る花が、シンジラレナイほど小さく可憐なのだ。

▼アンダーアスー

アンダーアスーの巨木

アンダーアスーの巨木

5ミリほどのアンダーアスーの花

5ミリほどのアンダーアスーの花

 アンダー・アスー(anda assu/Cutieira-Açu)はトゥピグアラニー語で、トウダイグサ科に属し、その名前は、フルッタ・ジ・アララ、ココ・ジ・プルガ(coco de purga)、プルガ・ジ・パウリスタ、プルガ・ジ・カバーロ、などなど、様々な呼び名がある。
[参考IPES(Instituto de Pesquisas e Estudos Florestais)]
 このポルトガル語で「プルガ」は、英語でパージ(purge=一掃・抹消または粛清の意味)と同語となる。
 すなわち、8センチほどのクルミのような実は「油と甘味の強い貴重な果物」という意味を持ち、ミルク状の果汁に含まれる37%の濃厚な黄色の油分は、古くから下剤などの民間薬として用いられていたのである。またそれを大量に服用することで、堕胎の時に使われたという俗説もある。
 楕円形の葉から、可憐な小さな白い花がこぼれ咲くが、その花たるや、5ミリほどの大きさしかない。この木は大木に成長するため街路には適せず、牧草地や平原で多く見られるというが、やはり森でなければ育たないのは当然であろう。とにかく幹周りも太く堂々とした巨体である。
 しかし、なんと小さな花をつけることか。写真でしか紹介できないので、その花がどれほど小さいものかを実感することはできないと思うが、その森の主人の話によると、「あるとき、アンダーアスーの木のしたで、小さな可憐な花の行列が粛々と前進していた。驚くべき花の行列であった。そこで、身をかがめ、ぐっと花に近づいてみると、なんとこれまた小さな蟻がその花を担いで行列を組み、せっせと巣に向かって運んでいるではないか。小さいが、自然の営みにしみじみ感動した」ということである。
 実際、筆者もその光景を目撃することができた。大木が咲かせる、誠に小さな花…そして、ハラハラと舞い落ちた花々を担いで巣に向かう蟻の一群、なんとも自然の奥深さを垣間見た幸運なひと時であった。

▼牡丹雪のようなパイネイラから綿が舞い飛ぶ

 その同じ森には、優に10メートルを超えるパイネイラの大木がある。一般に「ブラジル桜」と呼ばれているそうで、ピンクの花が枝一杯に咲く大樹である。実は洋ナシに似た形で、熟すると堅い皮が割れ、種の入った綿が飛び出し、牡丹雪のように舞うそうだ。
 「牡丹雪のように舞い散る」というのは、森の主人の表現であるが、掌の大きさの硬い殻をみると、このなかで、綿が大切に護られているかと思うと、また改めて「自然の慈悲」を思い知らされたのである。
 木の下に舞い落ちた綿は、まるで残り雪のように広がっていた。
 セントロから離れた町の、庭の中の森には、多種多様な木々や花木、花々や果樹が皆寄り添って共生している。
 その姿は美しいばかりでなく、自然の慈悲、豊穣と過酷を、人間に無言のうちに語り聞かせてくれるのである。