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「日本人の心の歌」大盛況=歌手エンジュの両親も応援に=レコード大賞新人賞を狙う!

思い出の歌が披露された舞台

思い出の歌が披露された舞台

 第17回「日本人の心の歌」憩の園支援チャリティショー(重田エウゾ実行委員長)が20日、文協大講堂で開催され、満員となる1200人が詰めかけた。テーマは「歌で綴る忘れえぬ昭和」で、フレンズ楽団の生演奏に合わせて73曲が次々に披露された。
 午前10時に「軍艦マーチ」で賑やかに開幕し、「荒城の月」「戦友」「同期の桜」などが次々に歌われた。
 企画構成から司会まで担当する道康二さん(79、東京都)は、「選曲するのにお便りを頂き、歌謡曲にまつわるいろんな逸話を聞いた」という。「戦争直前、ブラジル政府の命令で日本語学校の閉鎖が決まり、別れに『仰げば尊し』を涙ながらに全員で合唱したという人もいました。棉の収穫をしながら夕焼け空を眺めて遠い日本を偲んで『戦友』をいつも歌っていた方も。そんな思い出が詰まった曲ばかりです」。
 さらに過去のショーでは「軍歌の後に突然立ち上がって、感極まって『天皇陛下万歳!』と叫ばれた来場者の方もいました。特攻隊の生き残りも」という。
 当日「コモエスタ赤坂」を歌った糸数グロリアさんは「15歳の時から歌っているわ。美空ひばり、テレサテンとか」という。姉の鎌田ミチコさんはサンパウロ市400周年の時にビクターからレコードを出した歌手という。
 来場者の安倍敏子さんも「パウリスタ線フロリダ・パウリスタで育ったんだけど、軍歌は子供時から良く知っている。父が繰り返し蓄音機でかけていた。NHKがある今と違って、単調な生活の中で、家族で合唱するのが唯一の楽しみだった。そんな時、元気の出る軍歌は私たちの応援歌みたいなものだったわ」と懐かしんだ。

エンジュのポスターを持って応援する両親ら

エンジュのポスターを持って応援する両親ら

 会場には日本デビューを飾ったエンジュの両親がCD販売などに励んでいた。父・島田ミツオ・ミウトンさん(62、二世)は「娘は片道航空券で行った。行くまではダメだった日本語も、今ではすごくうまくなった。彼女は頑張り屋ですから」と笑顔を浮かべた。
 母・島田エンジュ・ヒロコ・マギダさん(64、二世)も「日本にいってもう3年。ブラジルでは挨拶でアブラッソ、ベイジョが当たり前だが、日本ではダメ。そんなことから娘は学んでいる。今年はレコード大賞新人賞を狙って、日本全国をキャンペーンして歩いている」と握りこぶしを作った。