ホーム | 日系社会ニュース | 《ブラジル》苦闘の移民史描く歌舞劇に涙=小禄田原字人移住100周年=総勢1200人で盛大に=二百周年に向け絆強め

《ブラジル》苦闘の移民史描く歌舞劇に涙=小禄田原字人移住100周年=総勢1200人で盛大に=二百周年に向け絆強め

乾杯に沸いた記念式典

乾杯に沸いた記念式典

 先駆者への感謝を胸に心繋ぐ百周年にー。ブラジル小禄田原字人会(与儀昭雄会長)は、『移民百周年記念式典』を27日、サンパウロ市内の客家会館で盛大に開催し、沖縄やハワイからの慶祝団50余人を含めて、およそ1200人のウルクンチュが一堂に会した。一年がかりで準備された式典では、一世紀の移民史を描く歌舞劇が披露され、次なる二百周年に向けて絆を更に強めた。

 小禄字と田原字は、旧小禄村の一部で、現在の沖縄県那覇市に位置する。同字人の移民は1917年にきた20家族39人に始まり、太平洋戦争で激戦地と化したことも後押しし、戦前戦後併せて約千人が渡伯した。現在、その子孫を含めるとおよそ5千人に上る。
 午前10時から開始された先亡者追悼慰霊法要は、浄土宗日伯寺の稲場ペドロ導師による進行で始まった。献楽、献花、献茶に続き、追悼の言葉が述べられ、読経のなか出席者は焼香に列を成した。続き、正午から記念式典に移った。
 与儀会長は同字人の移住史を振り返り、「多くの苦難と失望にも関らず、先駆者は大きな決意、忍耐力、自尊心で困難を克服し、今日の社会の強固な基盤を築き上げた」と深甚なる感謝の意を示した。
 その上で「ウルク・タバルンチュの移民が持ってきた習慣を引継ぎ、ゆいまーるといちゃりばちょでーの精神で、一生懸命社会に貢献する義務がある」と襟元を正し、次なる二百周年への意気込みを見せた。
 式典では、照屋武吉副会長、上原テリオ実行委員長ほか、来賓の両字自治会及び財産管理運営会、小禄字人クラブの代表者、上原幸啓元文協会長、呉屋春美現会長、飯星ワルテル連邦下議らが祝辞を述べた。
 来賓や85歳以上の敬老者68人や二世最高齢者への記念品が贈呈されたほか、歴代会長へ感謝状が授与された。鏡開き、乾杯、ケーキカットが行われると会場は祝賀ムードで熱気を帯びた。
 昼食後、盛大に行われた芸能祭は『島の情き~心繋ぎ百周年』がテーマ。およそ300人が出演し、琉球王朝時代から一世紀に及ぶ同字人の移民史や、未来に込めた力強いメッセージが、次世代を担う若い世代を中心に歌舞劇を通じて壮大に描かれた。
 なかでも、移民船に乗り込む際の家族との別れを演じた「ハワイ節」や、コロノの過酷な一日の労働を終えて満月に照らされ故郷を思い涙した「汗水節」など、迫真の演技の数々に会場は万雷の拍手が巻き起こった。
 戦火や抑圧など筆舌し難い苦難を乗り越えて、力強く人生を歩んできた先人の姿を克明に描いた映像とともに、琉球國祭太鼓が圧巻の演奏を見せると、涙を流した来場者が後を立たなかった。
 上原初江さん(沖縄、65)は、「両親が『戦争が又起こったら大変。こんな思いを子供には絶対にさせたくない』との思いで、5歳のときに移住した。フィリピン戦線で戦った父は、革靴を水につけて食べたこともあったと言っていた。そんな苦労を思うと涙が止まらなくて」としみじみと語り、「今、平和に生きていられることに感謝している」と感慨深げに語った。
 最後は、出演者や運営を支えたスタッフが舞台前方に集まり、参加者が入り混じってカチャーシーが踊られ、あちこちから「ピュ~ッ」と威勢の良い指笛が響き渡り大盛況で幕を下ろした。